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007はお好きですか? [ちょっとした考察]

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みなさん、スパイ映画は好きですか?

わたくしは断然この手の映画が好きですね。

最近、ダニエル・クレイグがボンドに扮してから

なおさら007シリーズが好きになりました。

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なんたって、007シリーズは派手なアクションという魅力もありますが、

必ずボンド・ガールという美女が登場し、

これまたお約束のように、ゴージャスなパーティ・シーンがある。

筋骨隆々とした立派なボディにタキシード、

美女はめりはりのきいた体に沿うようなソワレをお召しになり・・・・と楽しい。

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ゴージャスなホテルに、ゴージャスな車、ゴージャスなロケーションと結構、優雅な気分。

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この間、朝日新聞を読んでいたら、

歴代の007を演じていた男優さんおよび、

その作品についてのコラムがありました。

ルパン三世の原作者であるモンキー・パンチさんとか、

あと、何人かの007に強い影響をうけた6人ほどで、

何が一番好きか、などを討論したものでした。

で、みんな一様に一番好きなのは「ロシアより愛を込めて」でした・・・・。

なるほど、なるほど。

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次はだいたい「カジノ・ロワイヤル」だったかも

今のボンド、ダニエル・クレイグですね。ま、これも納得できるところです。

007と聞いて、「ロシアより愛を込めて」と連想行きがちですもんね。

それほど、スパイとしては傑作だったのだろう、と思うのです。

青池保子の「エロイカより愛を込めて」っていう漫画まであるものね。ウン、

今日、夫サマと「007」と聞いてすぐに脳裏に浮かぶ顔って誰?と話あっていたら、

「やっぱりショーン・コネリー」だろうねぇ。

とはいえ、わたくしたち実際にはでっかいスクリーンでショーン・コネリーをみたわけじゃない。

最初は超低予算映画の「ドクター・ノオ」から始まったんですね。

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でも、「ドクター・ノオ」って聞き馴れなくって、

「そんな作品あったかな?」と思っていたら、

実は当時、「ドクター・ノオ」というタイトルではなく、

007は殺しの番号」という邦題がついていたのですね。

ああ、どおりで聞きなれないわけです。

ついでに言えば「ロシアより愛を込めて」も

最初は「007危機一発(一髪ではない)」という邦題がついていましたが、

いつのまにか「ロシア・・・」のほうが人口に膾炙されておりましたとさ。

「ロシア」のほうがタイトルとして秀逸だわね、ロマンティックだしね。

だいたいね、今じゃ007のことを「ダブルオー・セブン」と普通にいうけど、

昔は「ゼロゼロセブン」といっていた。

ところで、わたくしが子供の頃からなんとなく、

その存在があったことはわかっていたけど、

はっきりと「この映画がすきだ!」と自覚したのは

たしか、高校か大学生のときに見た、「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」。

これはショーン・コネリーがもう一度なつかしのボンドに戻ってという、

ちょっと番外編みたいな映画。

コネリーが実はハゲ親父だったとカミング・アウトしたのもこの映画の時だったと思う。

でも、世間では「却って人間らしい、潔い。それにゲーハーでもコネリーはかっこいい。」

とかなり好意をもって迎えられたような気がするんですよね。

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さて、わかりやすいようにボンドの映画の表などを張り付けておきましょうか?

ヴィデオで見て一番笑ったのは、「007は二度死ぬ」。

これってわたくしが大好きな作家であるロアルト・ダールが脚本書いているらしいんだけど、

日本が舞台になるんだよね。

当時、日本ってアメリカから見て、こんな国だと思われていたんだなぁと思うと

一種の感慨がある。

しかし、どうキモノを着ようと、髪を真っ黒に染めようと、

絶対にショーン・コネリーは日本人にはなれないだろう・・・・と思いましたが。

浜美枝さんがボンド・ガールに選ばれて、

「国の誉れだ」みたいなこと、随分世間では騒がれていましたっけねぇ。

今の若い人たちって解らないだろうけど、

その当時の日本人の外国コンプレックスってそうとうなモンがあったんだろうと思う。

今は、別にフツーに長身で顔の整った人なんて、

日本人かどうかを問わず、アジア一帯に存在してますからねぇ・・・。

なんかそんな人種差別みたいなことも考えてしまいますねぇ。

ロジャー・ムーアのものはね、一度テレヴィで放映されていたのを観てたことがあったけど、

なんていうのかな、70年代の「科学万能主義」の気風が画面のそこここに漂っていて

その当時はハイセンスだったんだろうけど、今みると時代遅れもいいところ。

ほとんど噴飯もの、で見るに堪えなかった・・・・。

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ドクター・ノオ(007は殺しの番号)

1962

テレンス・ヤング

ショーン・コネリー

アーシュラ・アンドレス

ロシアより愛をこめて(007危機一発)

1963

テレンス・ヤング

ショーン・コネリー

ダニエラ・ビランキ

ゴールドフィンガー

1964

ガイ・ハミルトン

ショーン・コネリー

オナー・ブラックマン

サンダーボール作戦

1965

テレンス・ヤング

ショーン・コネリー

クロディーヌ・オージュ

007は二度死ぬ

1967

ルイス・ギルバート

ショーン・コネリー

若林映子/浜美枝

女王陛下の007

1969

ピーター・ハント

ジョージ・レーゼンビー

ダイアナ・リグ

ダイヤモンドは永遠に

1971

ガイ・ハミルトン

ショーン・コネリー

ジル・セント・ジョン

死ぬのは奴らだ

1973

ガイ・ハミルトン

ロジャー・ムーア

ジェーン・シーモア

黄金銃を持つ男

1974

ガイ・ハミルトン

ロジャー・ムーア

ブリット・エクランド

私を愛したスパイ

1977

ルイス・ギルバート

ロジャー・ムーア

バーバラ・バック

ムーンレイカー

1979

ルイス・ギルバート

ロジャー・ムーア

ロイス・チャイルズ

ユア・アイズ・オンリー

1981

ジョン・グレン

ロジャー・ムーア

キャロル・ブーケ

オクトパシー

1983

ジョン・グレン

ロジャー・ムーア

モード・アダムス

美しき獲物たち

1985

ジョン・グレン

ロジャー・ムーア

タニア・ロバーツ

リビング・デイライツ

1987

ジョン・グレン

ティモシー・ダルトン

マリアム・ダボ

消されたライセンス

1989

ジョン・グレン

ティモシー・ダルトン

キャリー・ロウエル

ゴールデンアイ

1995

マーティン・キャンベル

ピアース・ブロスナン

イザベラ・スコルプコ

トゥモロー・ネバー・ダイ

1997

ロジャー・スポティスウット

ピアース・ブロスナン

ミシェル・ヨー

ワールド・イズ・ノット・イナフ

1999

マイケル・アプテッド

ピアース・ブロスナン

ソフィー・マルソー

ダイ・アナザー・デー

2002

リー・タマホリ

ピアース・ブロスナン

ハル・ベリー

007 カジノ・ロワイヤル

2006

マーティン・キャンベル

ダニエル・クレイグ

エヴァ・グリーン

007 慰めの報酬

2008

マーク・フォースター

ダニエル・クレイグ

オルガ・キュリレンコ

こうやって眺めてみると、ちゃんと劇場で見たのは、いつごろなのかな?

たぶんロジャー・ムーアのは全く記憶にないから、見てないと思う。

なんとなく、ティモシー・ダルトンのは覚えているから、

劇場で見てなかったとしても、ヴィデオかなんかで観てるんだろうなぁ。

ただし、この頃っていうか当時のわたくしって

ティモシー・ダルトンがいかにイギリス的な男前でかっこいいかっていうのを全く理解できなくて、

ただ「なんかすごくコワい顔したオジサンだ」とか思っていて

・・・・子供だったんですね。

というか、彼は目力がとても強くてそこが受け入れられなかったのかもね。

この間、「アガサ 愛の失踪」っていう映画を改めて見ると、

惚れ惚れするほど美男子。それに上品だしね。

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なんでこの人の魅力に気が付かなかんだろう?と思うんだけど、

ま、それはしょうがないやね。

あとは、ピアース・ブロスナンのボンド映画は結構丹念に見ているんだけど、

わたくしからみれば、プロスナンって良くも悪くもソツがなさ過ぎて、

あんまり印象にのこらないんだよね。何となく紳士服のモデルみたいな感じがするし・・・。

やっぱり、ダニエル・クレイグの「カジノ・ロワイヤル」が一番好きだったかな。

金髪の新ボンドって、従来のボンド像を覆す!って結構話題になりましたけどねぇ。

ダニエル・クレイグは、顔だけ見ていると、

歴代のボンドの中では一番イケテない顔だとは思うんだけど、

なんていうかな、彼には何となくボンドが感じているであろう、

「心の痛み」とかスパイとしての「虚無感」みたいなものが伝わってくるんだな。

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今は「007」シリーズじゃなくても、

トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」など結構カッコいい映画あるから、

007もしのぎを削って、アレコレと工夫しているような気がする。

今回「スカイフォール」も実は楽しみにしているんですのよ。

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せっかくですので、「ロシアより愛をこめて」の歌詞を訳してみました。

イギリス英語は難しいですね。 

From Russia with love I fly to you,
much wiser since my goodbye to you.
I've travelled the world to learn,
I must return from Russia with love.

I've seen places, faces and smiled for a moment,
but oh, you haunted me so.
Still my tongue tied young pride,
would not let my love for you show
In case you'd say no.

To Russia I flew but there and then,
I suddenly knew you'd care again.
My running around is through,
I fly to you from Russia with love.

ロシアより愛をこめて、君のもとへ飛んでいくよ。

君にさよならを告げたあと、僕はかなり大人になって

世界中を旅してそのことにやっと思い至ったんだよ。

ロシアから愛をこめて、

君のところへ戻らなければならないと、ね。

いろいろな場所や人々がほんの束の間、僕の心を慰めてくれた。

だからといって、ああ、君の存在はいっときも僕の心をつかんで離しはしなかった。

あのとき、君が僕の愛に応えてくれないことを恐れて、

青臭い矜持が、君に愛を語ることを許さなかったんだ。

それからロシアへ行って突然、天啓が閃いたんだ。

再び君が僕の事を気にかけてくれているって。

これで、僕の女遍歴は終わりだよ。

ロシアから愛を込めて、君のもとへと飛んでいくよ。


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漂白する魂、王冠を被らせられた野生児   カイゼリン・エリーザベト    [ちょっとした考察]

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最近、オーストリア、ハプスブルグ皇妃、エリザベートに関する展示が多いですね。

わたくしも、なんやかんやとオーストリア関係の本、読むことが多いです。

皇妃様はエリザベートとふつう表記されますけど、本当はエリーザベトと発音するのが

正しいようです。

だから、表記は今回、エリーザベトで・・・ 笑

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ま、ここでは幼少からのニック・ネームであるシシィで統一しましょうかね。

シシィは今でこそ、「ヨーロッパ一の美貌の持ち主」とか「ハプスブルグの美神」とか

褒め称えられていますけど、生前はあんまり評判はよくなかったんですよ。

皇帝のフランツ・ヨーゼフはなんていうのかな、

イメージとしては明治天皇のような感じで国民に人気があったのですが、

シシィのほうは年がら年中、ヨーロッパのあちこちを放浪している

エキセントリックな皇妃として有名で、一名「機関車皇后」とも呼ばれていました。

いつも「ここではない、どこかへ」と口ずさんでいたそうです。

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思うに、彼女は皇室とか王室とか女王とか

そういう儀式ばった、体面というか、人工的な形式というものに

一番縁が遠い人だったのだと思いますね。

シシィはこう、ウンディーネというかニンフというか

そういう何かの精のような人だったと思うのです。

生まれ育ったところが、湖のほとりのロマンティックな場所。

人によってはな~んてひとけのない寂しい場所だろうと思うでしょうね。

でも、シシィにとっては生まれ育ったその場所が一番落ち着いて、安心できた場所なのです。

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彼女のお父さんとお母さんは近親結婚でどっちもビッテルスバッハ家の人だったのです。

お母さんは本家の王女だったので、分家の公爵の家に嫁ぐのはイヤだったみたいです。

格下ですからね、公爵サマといっても。

他の姉妹たちはみな王家に嫁いでいますから。なんで自分だけがという不満があったみたいです。

お母さんは実は双子の妹でして、

片割れの姉のほうは・・・・実は未来の夫であるフランツ・ヨーゼフの母親なのですよ。

ね、びっくりびっくりでしょ~?

こんなに血が濃いんですよ。従兄弟同士の結婚といってもね。

脇道にそれましたが、

そんなわけで、お父さんもお母さんも美男美女でラブラブでもよさそうなのに、

はじめっから、めっちゃくちゃ夫婦仲は冷えてまして、

お父さんはお母さんと結婚する前に何人もの愛人をもっていて、しかも子供がいたので、

お昼は「自分のプライベートな家族」のほうを優先して、その人たちと一緒にすごす、ということでした。

・・・・お貴族サマの暮らしって、現代の庶民のわたくしたちには考えられないことが多いですね。

ただ、シシィにとってラッキーだったのは、

お父さんの公爵サマは、わりあいとリベラルな思想の持ち主で

もちろん、公爵という身分にしては、という前提なんだけど、

わりと彼女とお父さんとはウマがあっていたみたいで、

それが本来の彼女の長所を伸ばす一助にもなっていたみたいです。

シシィが公爵令嬢にあるまじき所業をしていても

別段目くじらを立てて怒るということはなかったらしい。

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で、当のシシィですが、彼女は小さい頃は「全く美しくない」と両親にも

周りの人にも思われていたんです。

本当の美女になる子って意外と小さい頃は可愛くなかったりするもんなんですが

彼女もどうもそのケースみたいですね。

だいたいにしてすごくやせっぽちで、子供らしいふくよかさっていうのに欠けていたらしい。

当然、シシィも自分が将来「絶世の美女」になるなんて夢にも思っていなかったでしょう。

でもね、彼女にしてみれば自分の顔が美しかろうと、そうじゃなかろうと、別にどうでもいいことだったんです。

彼女は一日中、自分の顔を鏡に映して

「アタシってカワイイ?」って媚びを売ってるような女の子じゃなかったんですから。

彼女は、父親譲りのアタマの良さと鋭い感性、そして高い身体能力もち、

そしてこれは彼女が持って生まれた先天的なものだと思うのですが、

ナイーヴでフラジャイルな気性の持ち主だったのです。

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彼女は美しい自然を見て、詩を書いたりするのが好きな少女で、

そして馬に疾走させて、髪を風になびかせながらそのスピード感を楽しむような

ちょっと一風変わった女の子でした。

やっぱり、ギリシャ神話の中のディアナかなんかのような、そんな感じがしますね。

一種の野生児だったんです。

彼女はたぶん、真珠や宝石で作られた宝飾品よりも

太陽に照らされてきらきらと輝いている川の石のほうがキレイだと感動するような人なのです。

そんな人がどうして、王宮生活やマナーなどになじめることができるでしょうか?

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彼女の悲劇は、姉のヘレナのお見合いの場所へ同乗してしまったことから始まります。

実は、母親同士、このお見合いは事前にお膳立てされていたのです。

ヘレナはもともと、フランツ・ヨーゼフへ嫁にやるつもりでたんと仕込まれた娘だったんですよね。

シシィは、さいしょっから問題外で、はっきりいって周りの大人からほうりっぱなしで育った子です。

両親からみれば、シシィなんぞは器量は悪いし、アタマもわるい、女の子のくせに日柄一日、

馬に乗りまわして、野山を駆け回っているはねっかえりだし・・・・。

でも、まぁあの子もたまにはかまってやって、世の中にはこういう華麗な世界もあるってことを

見せておいてもいいかもしれない、と思うのですね。

思えばそれが運のつきでした。

なんと、プリンスは宮廷にはゴロゴロいそうなヘレナタイプの女性は、食傷気味だったんでしょう。

そういうわけでシシィは新鮮だったんです。

人に媚びへつらったこともない、それでいて夢見るようなまなざしがとりわけ

フランツ・ヨーゼフの心を惹いたといわれています。

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そのときシシィわずか15歳ぐらいのことだといわれています。

物見遊山でキレイでしとやかな姉のあとについてきた、

イモ娘のほうが若い皇帝のハートを掴んだのですね。人生って皮肉なものです。

でも、シシィの兄弟姉妹ってお父さんとお母さんが美男美女なので、

どの人も遜色なくキレイなのですよ、実のところを言えば。

わたくしの目からみれば、二人とも実に容貌がよく似て、どちらもホンモノの美女です・・・。

いつもなら母親のいうことは絶対に従うフランツ・ヨーゼフはこの時ばかりは

自分の意思を押し通しました。

「絶対に、絶対に、シシィがいい」

「やめときなさい! あんなじゃじゃ馬の娘のどこがいいの!」

「いや、シシィは実に魅力的じゃないですか」

「フランツ、あの子はやめときなさい。皇妃という柄ではないですよ。

 将来、おまえが苦労します。それにシシィも皇妃になれば苦しみます」

とこのように散々諌めたのですが、効き目なし・・・・。

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こうやって、シシィは自分の意思とは関係なく、

皇帝フランツ・ヨーゼフに強く望まれて皇妃になる道を歩んでしまうのです。

シシィとすれば、若い皇帝からぜひに、とプロポーズされれば、女ですから当然悪い気はしなかったでしょうが、

従兄弟である皇帝には好意は抱いていただろうけど、

それはたぶん「恋」とか「愛」とかいうものではなかったろうと思います。 

彼女はまだまだ子供だったのですね。

皇妃になるということがどんなに大変なことか。

しかし、立場上、皇帝からのプロポーズは断ることができません・・・。

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こうやって、嫁入りしたのですが、人々がじろじろとシシィを見て

世慣れない彼女は疲労困憊してしまいます。

それに、結婚の本当の意味を全く知らなかった彼女は

夫婦生活を泣いて暴れて拒み続けたそうです。

そこらへんはモーパッサンの「女の一生」のジャンヌを彷彿とさせますね。

昔はたいてい、高貴な人の結婚というのは恋愛じゃない。でも、そういったものは焦らなくても

少しずつ夫その人にも慣れて夫婦間の情愛を育てて行けば、自然と成就するものなのです。

しかし、最悪なのはそういった夫婦間の実にプライベートな部分である絶対に人には見られたくない

場面をしっかりのぞいているおつきの人間がいるってことだったのです。

で、朝になると姑である皇太后ゾフィーの耳にちゃあんと昨晩のシシイの行状が知れていて

しっかりと「皇帝を満足してお慰めできなかった」といって叱責されちゃうのですね。

で、シシィの抵抗もむなしく、コトが成就できた朝、やっぱりそのことがショックで

彼女はベッドから起き上がることができない。

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皇帝はそんな彼女の繊細な心が理解できないので、さっさと自分だけ身支度をして、出て行ってしまう。

シシィは自分の身に起きたことがあんまりにも猛々しくて、恥ずかしくて、おつきの女官に

そっと「コーヒーを持ってきて頂戴」と嘆願する。

今日一日くらい、自分をそっとしておいてほしい・・・・・。当然ですよね。

しかし、宮中とはそういう身勝手は許されません。

ただちに朝の正装をなさって、朝餐のテーブルに着くように、と厳しいお達しが。

シシィにしてみれば、昨晩のことはみんなに知れ渡っているのです、そんなところに

みんなから興味津々の目つきでジロジロみられるのは、耐えがたいのです。

しかも、守ってくれるはずの夫はそばにはいない・・・・。

針のムシロ状態ですね、まさに。

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フランツ・ヨーゼフは決して悪い人間でもなく、

シシィを単なる一時の気まぐれで皇妃に選んだわけでもないのですが

小さいころから皇帝になる人間として躾けられ、帝王学を学んできた人間なのです。

これがアタリマエ、と思っている人には、

なかなかシシィの心情を理解することは難しかったのでしょうね。

宮廷のマナーはことのほか厳しく、二人が夜のベッド意外で親密にすることすら

許されなかったらしいのです。

宮殿のすぐそばに劇場があったのですが、そこへ夫婦連れだって歩くのも憚れるとのことで禁止。

フランツ・ヨーゼフは日中、執務室にこもって仕事をしていますから

そこへ皇妃といえども勝手に入ることは許されません。

ですから、少しでもいろんなことでお互いに理解しようと思っても、できない状態なのですね。

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まぁ、それでも若い二人には子供が次々と生まれるのですが、

これがまた、生まれたとたんにシシィは実の子供を抱かせてもらうこともできず、

ぜ~んぶ姑ゾフィーに取り上げられちゃうのです。

・・・・・なんか、ほとんど子供を産むためだけの道具ですよね、これじゃ。

長男のルドルフを産んだ後、彼女は自分の勤めは果たした、と思うのです。

しかも、当時の男にはよくあることなのですが、

皇帝も若いせいか女遊びが激しかったらしい。

潔癖なシシィはそのことが絶対に赦せなかった。

「どうして、そんな汚らわしいことを複数の女を相手にすることができるのですか?」

「据え膳食わぬの男の恥」とか「男の甲斐性」とかいっても

シシィは泣きながら、怒ります。

「陛下、わたくしは陛下の何なのでしょう?

 陛下はルドルフの母方の血筋としての可能性だけを考えられてわたくしと一緒になられたのですか?」

と、シシィはだんだんと心を病んでいくのです。

しかも、オーストリア・ハプスブルグ帝国は代々カトリックですので、

離婚することは許されません。

夫からの愛はすでになくなった。しかも、子供を産んだ後、自分は子供を育てることはおろか、

自由に会うことすらかなわない。

こうなった以上、わたくしには人間として何の存在価値があるというのだろう。

無価値・・・・。

このくびきから解放されるには、自分の死しか逃れる術はない。

シシィは思いつめます。

で、20歳の頃、心身の衰弱が激しくなって、本当に死にそうになるのです。

シシィは誰からも顧みられることもない、ウィーンの宮廷の中で死ぬのだけはいやでした。

死ぬにしろ、意地悪な好奇の目にさらされて死ぬのだけはいやだ。

ここではなく、どこか遠く、ひと目につかないところでひっそりと人生の幕をとじたい。

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ということで、彼女ははるか遠く、マデイラ島まで赴くのです。

そうとう心に受けた傷は深かったと見えます。

転地療養がウィーンでの重責を忘れさせてくれたのか、シシィはマデイラで健康になるのです。

マデイラ島は、イギリスの戦艦が必ず寄港するところでした。

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始めは気のせいかとおもっていたのですが、散歩をしている自分の姿をみるイギリスの兵隊の目が

なぜか熱く感じるのです。

それはウィーンで感じた嘲笑を含んだ眼差しとは、はっきりとちがっていました。

やがて、シシィはそのイギリス人たちの食い入るような視線の中に「賞賛」が入っていることを

はっきりと自覚するようになったのです。

イギリス人たちはまさか、こんな遠い島にウィーンの皇妃がいるなどとは知りません。

貴婦人には違いないだろうけど、もっと身分の軽い人だと思って

気楽に近づいて来ます。

「なんて美しいんだ、あなたは」

「こんなに美しい人はみたことがない」

「まるで何かの妖精のようだ」

としきりに賛辞を浴びせられ、ほとんど女神のように彼女の前に額づいている男たち。

シシィははっきりとこの時、悟ったのです。

美しさは力なのだと。

そして、自分はその美をもっているのだと。

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ウィーンへ帰ったシシィは昔の怯えておどおどした小娘ではありませんでした。

はっきりと自分の美しさを自覚した威厳ある皇妃です。

これまで、どこかシシィのことを軽く見ていたふしがなきにしもあらず、といった体の皇帝も

改めて神々しいまで美しくなった皇妃に、こんどは自分がひれ伏さなければならないことを

悟るのです。

こうやって、美しさの絶頂の自分にヴィンターハルターに描かせたのが、あの超有名なエーデルワイスを

象った髪飾りを付けた肖像画だといわれています。

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黒い服 [ちょっとした考察]

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 すらりとスレンダーな肢体だからこそ着こなせる

粋なブラックドレス。

「ティファニーで朝食を」のA・ヘップバーン。

昨日、メンズ・ファッションっていうのは、

厳然とした決まりがあるってハナシをしました。

カジュアルな服はカラフルでも

やっぱり、きちんとした服はそれなりに、と思うのですね。

花嫁衣裳に対する花婿の衣装っていうのは、

燕尾服かモーニングコートか、

どっちかなってところだと思います。

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 こういうタキシードはかっこいいけど、夜の恰好だし

お婿様には向かないと思う・・・

漫才師みたいなカマーバンドやめてくれ!

ショーン・コネリー、ガタイがいいねぇ。

洋服をかっこよく着こなすには体型もそうだけど体力がいるのだよ。

こういう正装って時間帯によっても着る服が違うと思うし。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

黒はジミだ、とか目立たない!と思っているのは

いささか早計ですよ。

っていうのも、19世紀になるまで

厳然たる「黒」い服ってなかなか作れなかったものなのよ。

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「チューダーズ」でサフォーク公を演じるHカヴィル。

黒っぽい服をきてるけど本当の黒じゃないと思うよ。

とてつもなく黒を作り出すのは難しかったんだね。

それまで、なんとなく「黒っぽい」くすんだ色はよくあったけど、

それは混じり気のない黒ではない。

このルノアールの絵の、帽子をかぶってない女の子は

庶民なの、黒っぽい服をきてるけど、実は黒じゃないの。

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 傘をさしている人たちはたぶんブルジョア。帽子をかぶっているのでわかる。

買い物籠をさげているネーチャンは貧しい家の子なのです。

黒い洋服っていうのは、とてつもなく労力と値段がかかって

一部の特権階級にしか着られないものでした。

ですから19世紀の印象派の成金たちは

こぞってみんなこの色を着たがったもんなんです。

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ダンディズムを追求したホィッスラーの作品。
当時、こういうホワイトタイの様式が定着したみたいよ。
禁欲的ないでたちが男を光らせるのだ。 
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 いろいろと物議をかもしだした「マダムXの肖像」

サージェントは印象派に影響されたアカデミズムの画家だったが、

パレットの中から黒を排斥することはなかった。

黒って色は不思議な色で

それだけを着ていれば

陰気な感じになるけど、

黒にゴールド、黒にダイヤモンドだと

とたんにわぁ~っと華やかになるんですよね。

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平安の時代から公卿にしか許されなかった束帯も黒です。

この束帯の黒はどんなふうに染めていたのかさだかじゃないですが、

そのころの貴族ってたぶん、その家、その家に専門の生地を染める職人がいたらしいですよ。

黒にいきつくまでに自然の染料で赤に染めて次は青の染料の中にいれて、それから~

って果てしない行程を経て、あの束帯の色ができたんでしょうねぇ~

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やっぱり殿上人しか着られないわけです。

そういうわけで、やっぱり世の中のお婿様たち、

ピンクのタキシードきるのはやめようね。

黒はとてつもなくゴージャスな色なんだから。

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ダニエル・クレイグも大好き。カッコイイ。
彼のタキシードは色っぽいとはいえないけど
なにかとても誠実な感じがするね。

≪エーゲ海に捧ぐ≫にまつわる思ひ出 [ちょっとした考察]

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この間、編みあがったニットを首のところだけ繋いで、

どんな具合かを鏡で確認するために

廊下をうろちょろしてたら、

ちょうど夫サマが帰っていらしって

「なにしてんの?ジュディ・オング?」

と笑っておっしゃいました☆

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子供にジュディ・オングって知ってるかと尋ねますと

「しらん」でございまして、ま、それも当然かな~と思ったり。

その後、編み物教室で「ジュディ・オング知ってる?」と聞いたら、

オリジナルはしらないけど、よくお笑いで物まねされるから知ってるとのこたえ。

へぇえ~~

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実はうちの夫サマはこのジュディ・オングの「魅せられて」のLPを持っていた!

それは連れ添ってン十年なのに、今知ったことでした。

で、驚きつつも、そのLPを聴きながらこのトピを書いてるんですけどね・・・・。

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よく考えてみれば、大ヒットしたといっても、それはわたくしが高校生の時の話。

しかし、十代のアタマっていうのはそれはそれは記憶力が良くて、

ここ二三年の出来事も次々から忘れてしまう昨今、

ことの細部まで詳細に覚えているものなのですよ。

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「エーゲ海に捧ぐ」って原作が池田満寿夫の小説で芥川賞を受賞したんです。

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池田満寿夫はもともとが画家ですので、すごい才能だ、と思ったんですね。

で、読んでみたんですが、

よくわかんなかった。アニタっていう女がどうやら主人公らしいってこと意外は。

そこで、池田満寿夫がさらに、映画を作ったんですヨ。

映画は、映画はすばらしく美しくて、

高校生が見るにしては刺激の強いモノでした。

やっぱり、話のすじはさっぱりわかりませんでしたけど。

紫に近いほど青いエーゲ海、太陽の強い光にさらされた白い建物、

「すげ~、こんなきれいなところあったんだ!」って感じです。

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まぁ、当時の日本人の平均的な感想じゃなかったんじゃなかろうか?

それほどまでに、ギリシャって国は遠かったんですよ。

そして、本当に感動したのが主人公である、イロナ・スターラの美しい肢体ですよ。

この映画の彼女は不思議な透明感をたたえた美女で、本当にどんなポーズをとっていても

淫らな感じはみじんもせず、美しかった。

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何ていうのかな~、今って巨乳とか美乳とかオッパイの形ばっかり気にしているようだけど、

西洋の女の人のカラダって、美しさの秘密って実は姿勢のよさじゃないのかな

ってそのとき思ったんです、

だって、ピンと背が伸びていると、背骨がヒップにいたるまで美しく弧を描いて

立体的なんですよね。

これって男性は絶対にそうはならないし、あの美貌で女をタジタジさせている

アンドレイ・ペジック君もできないワザです☆

日本人ってここまで姿勢がいい人ってあんまりいないから、というより、

もともと西洋人と東洋人というか日本人はもともと腕の付き方が

違うんじゃないかって思ったもんです。

この主演をした謎の美女イロナ・スターラは実はのちのチッチョリーナでございました。

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彼女、このあと豊胸手術したみたいにみえるんですけど・・・・。

彼女があの映画で見せた、「透明感」はなぜかすっかり消え失せ、

ただ単にお色気ムッチリの人になっていました↓

ポルノ女優だから必要に迫られてやったのかもしれないけど、

そのとき女性のカラダの美しさっていうのは、胸の大きさじゃないな、と思ったのでした。

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で、もともとジュディ・オングのこの「魅せられて」ってどこに使われていたのかっていうと

この映画、協賛としてワコールがタイアップしていたのね、

それで、フロント・ホックブラっていうののCMをしていて

イロナ・スターラの姿とともに、ジュディ・オングの歌声が広まっていったというわけです・・・・。

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 今から見るとブラジャーの位置がちょっと下だよね~?

昔は「寄せて上げなかった」!

で、その後、「エーゲ海」よりもジュディ・オングのこの歌が爆発的ヒットをしまして

当時のレコード大賞を受賞した、と。

このときのジュディ・オングの衣装もすごく話題になったんですよね。

これはもともと、イロナ・スターラが真っ青なエーゲ海を臨む岬に半裸になって立ち、

シースルーのヴェールを棚引かせてたのをイメージしていたんだとおもうけど、

その後勝手に進化していますよね・・・・。

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なんか、ちょっと前のコトのような気がしますけど

1979年の出来事ですんで 

あれから軽く30年はたっているのね・・・・。(年取るはずだわ・・・・orz)


再び、サンソン・フランソワ [ちょっとした考察]

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きのうに引き続き、ふたたびサンソン・フランソワです。

オジサンだったときのカオしか知らなかったので、ほんとうに衝撃です!

それで画像で検索してみたら、面白いですね。

まるでヴィスコンティの映画に出てくるような美男ぶり・・・・。

というか、この写真の撮られ方が堂に入っているというか、

このナルシストぶりはどうでしょう?

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 なんか「山猫」にでてくるタンクレディ扮するアラン・ドロンのような・・・???

ウィキによりますと、サンソン・フランソワは多くの音楽家の例にもれず、

天才だったそうです。

でも、ほとんど19世紀のヴィルトォーゾ的ピアノ弾きだったので、

演奏にエラくムラがあり、興に入っているときとそうじゃないときの

状態の針の振り方がとんでもなかったのだとか。

途中でアル中になってどうしょうもなくなっていくんですが

写真でもよくわかりますね。

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未練たらしいスダレアタマがいかしています。
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これはこれで、美男の呪縛から吹っ切れたみたいで
いっそのことすがすがしいかも・・・・。
あいかわらず、目ヂカラはすごいかも・・・。
46歳の早すぎる死だったのですが、
どうせアル中だし、
めちゃくちゃだし、
長生きしても、
いい演奏ができたかどうか、
解らないヒトですね。
とうとう六月に入りましたね。
六月までがわたくしのスキな季節です。
夏になりますと、暑いの苦手なんで、
ほとんど死に体になってあえいでおります。
気分的には、
一年よ、さようなら~
みたいになっちゃうんですね↓

ルネサンス的神秘主義に彩られた絵   Botticelli [ちょっとした考察]

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 甘い憂愁というのがこの人の絵の真骨頂。

Botticelli にはちょっとした思い出がありましてぇ~。

それはわたくしが中学生のころのことでありました。

当時のわたくしはなぜ、自分のような感受性に富み、優れた人間が

こんなイナカに燻ぶっていなければならないのかといゆー

不条理に悩まされておりました・・・。(オマエはカミュか? 笑)

なんせ、そこはとんでもないド田舎。一応県庁所在地には住んでおりましたが、

音楽堂もなく、美術館もない。

人々もそんなものには全く興味もなし。

ところで、学校の美術の先生がまた、とんでもない俗物っていうか、教条主義者で

「教科書以外のものは全部間違い」と言ってはばからなかった人でした。

当然のごとく、中学生のわたくしって人生で最高にトンガッていた時期でしたので

この人のこと、赦せなかったんですね~。ま、わたくしもカワイイ時期があったってことです。

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で、件のBotticelli の日本語表記がたぶん「ボティチェルリ」だったかなと思うんですけど

先生が「それ以外の表記は全く認めませんよ!ボッティチェリもボティチェッリもみんな間違い!」

って宣言するんです。そしてまた、かの有名なモナリザがまたどういうわけか美術の表記は

「ジョコンダ夫人」になっていた。それがまたわたくしの勘にさわった。

「モナ・リザって書く人いますけど、それは間違いですからね!」とまたのたまう。

テストのとき、キタナイわら半紙にこれまた黒白の印刷でプリマヴェーラとダヴィンチの絵が印刷されていた。

これってほとんど絵画の冒涜じゃないの?・・・トに!

プリマヴェーラのほうは「この作者は誰でしょう?」

わたくしは惑うことなく Sandro Botticelli と書きました。

ダヴィンチのほうは、La Gioconda or La Mona Lisa と書いたのです。

結果は零点でしたけどね。

放課後、親とともに呼び出されて散々に説教されました。

「どうしてこうも反抗的な子供にしつけているんですか!」という先生のお叱りに

母親は「うちの子供は間違ってないと思う。日本語で表記するより、原語で書いたほうが正しいに決まっている。

お言葉を返すようだが、先生の考えは狭隘だと思う」といってくれました。

その後、美術の評価は10段階の1でずっと留まっておりましたが、別に「フン」と思っておりました。

今から考えたら、親に「あんたの思っていることももっともだけど、もっと要領よくなりなよ」

といわれたほうがよかったのかもしれませんが・・・・。

(でも、親には感謝してます)

恐ろしいですね。その当時の教育って。

こんなんでよく授業になったこと。そしてよくグレなかったものです。

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さて、昨日までエライ時間がかかって辻邦生の「春の戴冠」を読み上げました。

春の戴冠〈1〉 (中公文庫)

春の戴冠〈1〉 (中公文庫)

  • 作者: 辻 邦生
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/04
  • メディア: 文庫

中央文庫から①から④まで出ているんですけどね、

わたくし、図書館で検索していたら、辻邦生全集のしかありませんでしたので

そっちので読みました・・・・。



ま、長い、長いわ~面白くないわ、で大変でした。

最近読んだ中では、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」の次ぐらいに面白くなかった。

いや、全然面白くなかったかといえば、そうでもなく、政治が絡まっているときは

ものすごい迫力がありました。

ロレンツォ・ディ・メディチの追い落としを図ろうと

パッツィ一族がジュリアーノを暗殺したときのロレンツォのパッツィ一族の報復への場面とか

あと、ロレンツォが死んだ後に台頭してきたドメニコ会のジロラモ・サヴォナローラと

フィレンンツェ市民の葛藤とか、それはそれは息もつかせぬ迫力があって

ドキドキしながら読みました。

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さりながら・・・・ですね、この本のたぶん主題であろう、Botticelli のルネサンス的な

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Sandro Botticelli 自画像 

ネオプラトニズム的イデア論とでもいいましょうか、神秘主義的な考察になると

美術評論を読んでいるのか・・・と思うくらいタルイ。

わたくしが思うに、このBotticelli ことサンドロの描き方がイマイチだったような気がします。

たぶん、すごく多面体というか複雑な人だったんだろうとは思いますが、

たとえば、ほとんど獣かと思う程、女に溺れているところとか酒におぼれているところとか

もっと深く掘り下げて書いてみたら面白かっただろうに…たぶん辻先生はお上品な方だったので

そういう下品な描写は避けたかったのかもしれないけど・・・・。

まぁ、佐藤賢一ほどにドギツく書いてくれとはいわないまでも、もうちょっと突っ込んでくれたらなぁと思います。

でも、だいぶ古い本ですので、世間的にあそこまで描くのが限界だったのかなと思います。

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全然関係ないんですけど、途中、フィレンツェの国の中で反乱をおこした街として

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 Edward が自殺しかけた場所、パラッツォ・ディ・プリオーリ

ヴォルテッラっていうところが出てきまして、

ん~、なんか聞いたことあるなぁ・・・・と思ったら、

あの「トワイライト」に出てくるヴォルトーリ一族の根城でした。

わたくし映画見ていたとき、

どうせ架空の町だろ、ぐらいに思っていたのですが、

ちゃんとそのヴォルテッラでロケしていたことが

わかり、少しお利口になりました。

このヴォルテッラというところは、なんでも虐殺されたときに色々と黒魔術的な噂が流れていたところでして

さすが、ステファニー・メイヤーさん、博学ぅ~って、ちょっと感心しました。

・・・・思い切りヨコですみません・・・・。

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ところで、本を読んでいるうちに

Botticelliの絵ってどんなもんだったのかなぁ~と気になりだして

いろいろと見たのですが、

最初はフィリッポ・リッピの工房で修行していたらしいです。

だから、なんとなく、リッピっぽい絵ですかね?

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かつ、あんまりキレイじゃないです。

で、あるときですね、彼は自分の理想とも思える女性に出会うのです。

その女性こそ、シモネッタ・ヴェスプッチ!

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シモネッタは、結婚する前は快活で愁いを知らない少女だったのですが、

結婚して初めて、熱い恋をする。

その相手こそ、ロレンツォ・イル・マニフィコの弟。ジュリアーノ。

シモネッタは恋に悩みます。夫のマルコ・ヴェスプッチのことはキライではないけれど、

愛していない。彼女は自分の不貞に悩みます。

そういったことが、ただ単純に美しいというカオの造形の中に

「愁い」という深いニュアンスを植え付けることになるのでした。

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それを見た、サンドロは全身に「甘い痺れ」が走るのを感じ、「これこそが

自分の探していた女性像なのだ」と確信します。

そして、サンドロはシモネッタを描いて描いて描きまくり、

それから、あらゆるジャンルの女性像はシモネッタの姿なのです。

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こういう風ななりゆきは、ギリシャの古代以来の「モノの本質」を極めるという

ネオ・プラトニズムに依るところが大きいのだと思います。

つまりはシモネッタはサンドロにとっての「完全なる美」というか「調和」というか「女性の本質」だったのでしょうね。

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とこのように、延々エンエンとサンドロの考察が書かれていて読んでいるほうは全くの

忍耐です。わたくし別に botticelliのファンじゃないし。

ところで、前々からすごくすごく疑問に思っていることがあるのですよね、わたくし。

botticelli が描いた女性って妙にみんなおなかが大きいと思いませんか?

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たとえば、ルーベンスみたいにたっぷりと贅肉がついている女性を多く描いたってわけでもなさそう。

腕とか首とか脚とかみんな細いのに、なぜ妊娠したように描かれているのか?

ただし、「ヴィーナスの誕生」の絵だけはすっきりとしたおなかをしています。

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ダイガクにいたとき、先生に質問したら、この先生がまたイーカゲンな先生で

「単にこういう人が好きだったんじゃない?」 いい加減なことを・・・。怒

でも、この時代、確かにおなかの大きな女性が流行ったらしくて、

みなさんわざとスカートの下に座布団みたなものをいれておなかをふくらませていたのだそうです。

へぇ~、そうすると、着衣の女性はわかるけれど、じゃあ、「プリマヴェーラ」の三美神などは

どう説明するのだろうか?これは下手とかデッサンが狂っているとかそういう問題じゃない。

どうみても妊娠しているように見えるし・・・・。

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当時妊娠している状態が一番セクシーだと思われていたとか・・・・?

どうにもわかりません。

だれか知っている人がいたら、教えてくださいマセ。

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このプリマヴェーラは永らくキタナイニスをなんども重ねられて塗られておりまして、

ちょっと前(ここ20年ぐらいの間)にそのヤニ色のニスの除去作業をしたのですよ。

すると、そこから出てきたのは、信じられないような美しい色彩です。

以前はほとんどわからなかったのだけれど、女神たちの足元には可憐な草花が咲いています。

この草花はほとんどがフィレンツェで咲いているもので、植物の名前もキチンと特定できるそうです。

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わたくしも、修復後の「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」はウフィッツィで見ましたよ。

ナンダカンダいってまた見てみたくなりました。

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彫刻にまつわる考察 [ちょっとした考察]

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sadafusa、彫刻については全くの門外漢ですので、

これまであんまりチョーコクってことについて

深く考えてこなかったのですが、

ちょうど昨秋、非常にめずらかなことに

「日展」に行きまして、受賞者たちの立体造形を見てきました。

感想は・・・・・「ウマいと思うけど、感動しない」

というさびしいもの。

でも、じゃあ、どうしてなのか・・・・と考えてみたのです。

というのも、その立体造形の大半が写実主義だと思うのです。

そこらへんに歩いていそうな人が裸になって無防備に立っているか、

なんかちょっとだけポーズつけているか・・・・。

製作者の方々は、ただぼけーっと作っているハズがないので、

そう感じてしまうのは、なんとも申し訳ないのですが・・・。

そこでふと思い出しました。

なぜ、マネの「オランピア」が発表当時あんなにも世間の怒りを買ったかということを。

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つまりこうです。

マネはモデルを実際に存在している娼婦を使って描いたからなのです。

娼婦を描いたことがけしからん!というモラルの問題ということもあるかもしれませんが、

実はもっとヨーロッパの人は根深いところで、芸術というものは「かくあるべき」みたいな

確固たる信念があるような気がするのですね。

それはさかのぼればギリシャの彫刻にまで行き着くものだと思います。

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 ヴェルヴェデーレのアポロン。

ローマン・コピーです。向かって右足の「遊足」のポーズが美しすぎます。

子供のころはなんでこのニィちゃん、マントつけてんのに

肝心なところ隠していないんだろうと下世話なギモンを抱いていました・・・・オバカ。

ギリシャ人は、「神々という存在は、絶対的な美でなければならぬ」と確信していました。

よくギリシャ神話を読んでいると、神様たちは

自分が神様であることを人間に悟られぬように 

自分の美しすぎるからだをそこらへんにいるような貧弱な体にやつして

人間に接していた・・・・。

はじめ、この意味がよくわからなかったんですね。

「なんで?」「人間だってきれいな人いるじゃん?」

そうではなくて、圧倒的に美しい。神とはまったくもって完璧な肉体を持った存在なのです。

だから、世間にキレいな人がいると、その人は「神の恩寵が篤い」と思われた。

逆にいえば、醜い人は「罪びと」というより

「神に見放された人」なのかもしれません。残酷な考えですけどね。

それがたとえキリスト教社会になっても、どこか感情の奥深いところで

そういう考えは滔々と流れていたんでしょう。

そうじゃなかったら、「ノートルダム・ド・パリ」のカジモドなんて

どうしてあそこまでいじめられるかが理解できない。

***

ギリシャ彫刻は(ローマン・コピーにしてもですが)

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ほとんどといっていいくらいはだかの肉体が表現されている。

それはなぜかというと、圧倒的に美しいから、はだかの肉体をさらすことが許されるからです。

・・・・・う~~ん、言ってることわかるかな~。

反対に言えば、醜い肉体は人目にさらしちゃいけない、ってことです。

たいていの人間はカミサマみたいに完璧な肉体をもってないから、

しょうがない、衣服でその肉体を隠しておけい、ってことですね。

ということで、その昔のギリシャの彫刻家というのは、一生懸命

美しい肉体とはどういうものなのかというのを考えたんでしょう。

その結果、カノンとか黄金分割とか8頭身とか

これが一番美しいと思われるプロポーションの比率を編み出したのでした。

でも、って思うんです。

これってたぶん、日本人の美意識には当てはまらなかったんじゃないかな。

というのも、今も昔もヨーロッパから中近東にかけて、つまりアーリア人種と呼ばれる人には

実際に彫刻みたいな体の人がいますからね。

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やっぱり、それは単なる創造の産物じゃないのです、絶対にモデルがいた、と思うのです。

それに、アーリア人は妙に体の凹凸がはっきりしてますしね。

今でこそ、日本人もアーリア人なみにカオを彫りも深けりゃ、

脚も長い、背が高いってひと珍しくなくなりましたけど、

(テルマエの主要キャストがオール日本人でやるっていう・・・・・笑)

あの、圧倒的な体の厚みっていうのは、やっぱりないかなぁ~。

どれだけボディビルやったとしても、シュワちゃんみたいになれないでしょ?

シュワちゃんのターミネーター見てて思ったけど、

上半身がすっごくゴツいのに対して、意外と下半身は細いってことですよね。

日本の仏様たちを見ると、

美しいです、静謐です、荘厳です。

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しかし、それはヨーロッパとは別な思想に基づいているものなのね。

だって、仏教は「涅槃の境地」とか「悟りを得る」ことが

一番大事なんですから。ヘレニズム彫刻より、より精神性を重要視したのだと思います。

(とはいえ、一番最初のガンダーラ仏はヘレニズムの洗礼を受けているというこの不思議!)

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それに仏様たちが「静」とするならば、やっぱりヨーロッパのものは「動」です。

そして、360度パノラマ展望できるように、より立体的です。

この間、平野啓一郎の「葬送」を読んでいるとき、

オーギュスト・クレサンジェの彫刻のことが出てきましたので、

画像検索していましたが、

この「蛇に噛まれた女」っていうのは、まぁテーマのとおり蛇に噛まれてのけぞっているんだけど、

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いろいろな角度でみないとその全貌が把握できませんね。

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それに、たぶんふつうだったら絶対にこんな苦しくて無理なポーズは取れない、って恰好してますよ。

あと、複数で組ませるのも好きね。

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ダンテの「神曲」に出てくる永遠の恋人、パオロとフランチェスカ。

彼らはたとえ地獄に落とされても、お互いを求めることをやめようとしない。

究極の愛の形を表現してます。

それにしても、悩ましいのはパオロの「手」ですよ。

わたくしは、この手にヤラレました。

恋人に対する愛情表現が見事に表れてます。

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ルーブルにある、18世紀のイタリアの巨匠、

アントニオ・カノーヴァの作品。

美しくてダイナミックな作品だけど、よく考えたら

こんなに女性のほうがのけぞってキスなんてできないんだってば。

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これもロダンの作品「永遠の青春」

さきほどの「抱擁」ほど傑作じゃないと思うな~。

すっごく動きはあると思うけど・・・。

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ベルニーニの大傑作、「アポロンとダフネ」

イタリア人は古来より残された大傑作に取り囲まれていたせいか、

こういうの作っても、あんまりローマ時代との差異をそれほど

感じさせないですね。

わたくし、最近はデュマ・ペールの「ダルタニャン物語」を読んでおりまして、

実は世に言う「三銃士」の物語は全部で11巻あるうちのホンのサワリで2冊分なのですよ。

だから、日本人はたいていダルタニャン(ダルタニアンではない)のこと、少年、と思っているけど、

壮年で活躍しているほうが物語の比率では長い。

そういうわけで、パリのデュマの像の下にはダルタニャンが座っているのですが・・・・。

これこそ、「泰然自若」とか「威風堂々」というコトバを具現したものではないでしょうか?

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これって、「ラファエロの再来」と呼ばれ、あのダンテの神曲などのエッチングで有名な
ギュスターヴ・ドレの作品(らしい)です。
ほんっと、見事ですよね。
 *
sadafusa感激屋だから、こういうの見ると泣けてきます。
ダルタニャンのしゃきんとこうべをもたげ、ゆったりとリラックスしながら、
それでいて、隙なくあたりを睥睨している様子、
フランスの武人らしい不敵な面構え、
ちょっと上半身をねじって動きを出したポーズ、
マントの美しい襞、当時の男の心意気を示す羽飾りも美しい帽子、
* 
やっぱり、オリジナルでありながら、古来からの伝統をきちんと踏襲しているのですね~。
絶対にプロポーションとか崩れていないもの・・・・。
というより、脚の先から指の一本一本の先、髪の毛に至るまで、考えつくされていますよ、ホント。
とはいえ、最近日本人の彫刻家もヨーロッパで活躍していますよね。
サグラダ・ファミリアを飾る「聖家族」は日本人が作っているということですから・・・・。

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戦国の美しい貴婦人    ~細川ガラシャ~ [ちょっとした考察]

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堂本印象の「ガラシャ夫人」美しい絵だと思います。 

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花は花なれ 人は人なれ

これはガラシャ夫人の辞世の句です。

これは細川忠興夫人であったガラシャが

敵であった石田三成に攻め入れらたとき、

この句を詠んだといわれています。

人も花(さくら)も、その散り際を知って

いさぎよく散ってこそ、

花は花たりえるであろう、

人も人たる甲斐があったというものであろう。

逆説めいていますが、

人は死んでしまったその時に

人生を完結したといえる、と思います。

自分がこの世から離れ、もうどうにもできないところで

他人サマの評価というものが下される。

あんなにも美しく咲き誇っていたさくらも

潔く吹雪のように散るからこそ、

その短い花の盛りをこそ

めでたいもの、あっぱれなものと

賞賛される。

花でさえ、さあらば、人なればこそ。

その潔さは人の生にも当てはまる。

ガラシャは、見苦しく生に執着しなかった。

彼女は死んで名を遺した人のお手本です。

誰でもできるようでできない、

父親が逆臣、明智光秀であり、

戦国の世に生まれた武家の娘は

いつもそんな覚悟があったのかな、と思います。

彼女の生き方は、クリスチャンの生き方というよりは、

やはり、当時流行っていた一瞬一瞬を生き切るという

禅宗の教えに近いような気がします。

ガラシャ夫人は絶世の美人だったということです。

たしかに父である明智光秀はそうとうにハンサムな人だったそうですから

その娘のガラシャも美しかったに違いないだろうと推察されますが、

この詩の心映えの美しさが

のちの世にも彼女の名を高めているのだと

いえるでしょうね。

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さくら考 [ちょっとした考察]

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渚の院にてさくらを見てよめる  在原業平

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨日、京都は昼過ぎからすごい空模様でした。

わたくしは、その日、夫が休日で一緒に映画を見に行く予定でしたが、

風邪をひいたのか頭が痛くて、取りやめたのです。

でも、小石ぐらいの大きなヒョウが降ってきたので

出かけなくてよかった。

夕方、学校から帰宅した娘は

「ヒョウが降ったのがさくらが咲く前で本当によかった」

と開口一番に申しました。

さすが芸術家、一番に考えることはそこなのね、と妙に感心したりして・・・・。

それはさておき、

日本人ほど、さくらの花に一喜一憂する民族はいないでしょう。

冒頭の業平の詩にもあるように、

とにかく、春はさくらのせいでやきもきさせられるのです。

それは、桜は咲いた、と思えば、あっという間に散ってしまうからですね。

なんだか、最近はそういうハラハラと桜吹雪を見るごとに

「もったいない」と思うのです。

潔いともいえるのかもしれないけれど。

でも、こういう現象って日本だけのようです。

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この間、チエーホフの「桜の園」を読んでいたら、

なんとロシアはマイナス5度で桜の花が咲くらしい。

そういえば、この間UPしていた早咲きの一条戻橋の桜も

エラく長いこと花が保っていたような気がします。

一節によれば、

農耕するときの目印としてさくらは非常に大切なものだったらしい。

昔の人はさくらの花の開花を目安にして、田植えの日というものを

決めていたそうです。

また、「さくら」という名前も「さ」が神で、「くら」が、馬の鞍、つまり座るところを意味し、

さくらは神様の座る場所、よりましの場所として神聖だったようですね。

それも、農耕民族日本人ならではの、感性だったのかもしれないです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、最後にわたくしの敬愛する加藤周一さんが作詞した

「さくら横丁」をご紹介しましょう。

春の宵 さくらが咲くと

花ばかり さくら横ちょう

想い出す 恋の昨日

君はもうここにゐないと

あぁ いつも 花の女王

ほほえんだ夢のふるさと

春の宵 さくらが咲くと

花ばかり さくら横ちょう

会い見るの時はなかろう

「そのごどう」「しばらくねぇ」と

言ったってはぢまらないと

心得て花でも見よう

春の宵 さくらが咲くと

花ばかり さくら横ちょう

センチメンタルな情感をかもしながら、それでも、妙にドライで達観した

感性はやはり、加藤周一ならではのものか、と思います。

この作詞の経緯はご自身の自伝にあたる「羊の詩」に詳しく書かれています。

これは加藤さんが通っていた渋谷近郊の小学校のそばの小道に咲いていた

桜の並木がモデルだそうで、そのとき加藤さんは

大人っぽい同級生の美少女に淡い恋心を抱いていたそうで・・・。

はつこい、でしょうか? 笑

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この詩には中田喜直と別宮貞雄の二人の作曲家が別々のメロディを付けています。

どちらもそれぞれにすばらしのですが、

華やかな作風でどなたにも好かれるのが中田さんのものなら

別宮さんのは、よく聞けばハバネラ形式で作曲されており、

フランスのエスプリが感じられる玄人ごのみの作風です。

これも、米良美一さんが同じCDの中でそれぞれのものを歌っておられますので、

聴き比べるのも一興かと思います。

うぐいす~ 米良美一 日本を歌う

うぐいす~ 米良美一 日本を歌う

  • アーティスト: 團伊玖磨,早坂文雄,林光,中田喜直,北原白秋,佐藤春夫,谷川俊太郎,加藤周一,小倉貴久子,バール(グニラ・フォン)
  • 出版社/メーカー: キング・インターナショナル
  • 発売日: 1997/07/16
  • メディア: CD



桜の花は日の光の中で見るのも神々しくて美しいけれど、

ぼんぼりの光に照らされて見る夜桜のあやしい魅力も

また捨てがたいものがあります。

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Six o'clock の功罪 [ちょっとした考察]

先日、朝日新聞の広告を眺めておりますと、

大阪でウエスト・サイド・ストーリーのミュージカルがありました。

んん・・・・と脚の角度が気になる。

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昔、映画のジョージ・チャキリス様が踊っていたころと違いますね~。

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 全体的にふわっとしたのびやかさを感じませんか?

かえって体が垂直ではなく、少し斜めに傾斜しているほうがバランスが取れていいと思います。

妙に脚を高く上げスキているような気が。

これは、もしかしてシルビー・ギエムのシックス・オクロックのポーズが

世の中に定着したせいかもしれません。

シルビーはフランス・バレエ界の至宝といわれるくらい

すごいバレリーナなのです。(まだ現役? リタイアしたのかな?)

パリ・オペラ座では史上初の19歳でエトワールの座を獲得した、とか

いろいろと伝説がある人です。

わたくしも本当にこの方が好きで、

よく東京バレエ団といっしょに来日して、ベジャール作品を踊っておられました。

じゃ、ベジャールだったら、モダン一辺倒なの?と訊かれれば決してそういうわけでもなく、

古典も実に端正に踊る方です。

わたくしは、あらすじや形式やマイムが一切ないモダンをシルビーが踊るのをみて、

まさに彼女は音楽そのものだ、と思ったものでした。

当時、この方しかできないワザというのがありまして

それが、このシックスオクロックです。

つま先で立ちながら、脚をほぼ垂直に揚げるという技です。

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これは当時、保守的なフランスバレエ界では、賛否両論ありまして、

こんなアクロバティックでサーカスまがいのポーズは下品だ、と。

しかし、実際、このポースを涼しい顔をしていともやすやすとやられちゃうと、

胸がすっとすくような思いを見ている側はするわけですよね。それも感動のひとつかと。

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ただし、とわたくしは思う。
これが流行りになって、誰でもいつでもやるようになると
かえって感動は薄れる。
* 
このウエスト・サイド・ストーリーにおいては
昔のポーズのほうがなにか均整がとれていて美しく思える。
芸術は技術ばっかりではない、ということでしょうか・・・・・?

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