~法治国家『日本』の威信に賭けて~ 『藁の楯』 [読書&映画]
今日は、夫サマとおデートで映画を観てまいりました。
観てきたのは、『藁の楯』サブタイトルが「わらのたて」と書いてあるのは笑えました。
『藁の楯』じゃ、読めないよ~☆
この間見た、妻夫木聡が主演した『黄金を抱いて翔べ』もそうだけど、
最近の日本も、この手の映画は面白い。
アメリカのクリストファー・ノーラン監督の映画も映像がスタイリッシュで、好きなんだけど
やっぱり、あまりにスタイリッシュであるがゆえに、
やはり絵空事にしか、思えない弱みがあるのね。
これだって、やはり絵空事にはちがいないんだけど、
「ひょっとして…?」みたいな、恐ろしさがありますね。
そういう意味で、大変秀逸な映画であります☆
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さて、あらすじを、かいつまんで言いますと
殺人事件が起こるんです。
そして、これはいわゆるひとつの「快楽殺人」でございまして、
七歳の幼気な少女が、一人の変態になぶり殺しにされてしまうのです。
悲しいけれど、イマドキはそういう殺人はめずらしくなくなりましたね。
で、問題なのがここから。
この殺された少女の祖父はかつて日経連の会長もしていた
財界のトップ(山崎努)で、目の中に入れても痛くはないほど溺愛していた孫娘を殺された
私怨を晴らすため、どういった法の目をすり抜けたのかはわからないけれど、
ともかく、新聞に一面広告をだすのです。
孫娘を殺した犯人を殺した人に10億円差し上げる、と。
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犯人・清丸(藤原竜也)は、それまで某所で見つからないように潜伏していたのですが、
10億に目がくらんだ有象無象の輩から半殺しの目にあい、
あまりの恐ろしさに、自ら最寄の福岡県警に出頭するのです。
そして、東京の本庁へ護送しようとするのですが、
なにしろ、殺した人間には10億円を差し上げるというのだから、
護送中であろうが、皆、鵜の目鷹の目で犯人を殺そうと狙ってくるのです。
ならずものだけでなく、民間人だけでなく、警察内部の人間までも!
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そこで、こんな人間のクズのような男にもSP(大沢たかお・松島奈々子)が付けられるのです。
それもこんなクズにはもったいないほど非常に優秀な人材なのですね。
これを観ながら、わたくし先日読んだこの本を思い出しました。
それは黄文雄さんの、この本ですね。
この本によると、日本は江戸の昔から、いえ、聖徳太子の昔から「遵法主義」の
法治国家だというわけなんです。
日本の三権分立は欧米以上に徹底していると欧米から賞賛されているほどだそうです。
(黄文雄さんによりますと 笑)
じゃ、反対に法治国家じゃない国家はどうなのか、というと
それは「人治主義」で、法律はあるものの、それは為政者の考えひとつでどうにでも運用される。
突然の法律変更、改正などをする国家のことです。
北朝鮮などは、いうまでもなく人治国家ですわね。
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それはともかく、人が罪を犯した、という事実があって、
とたえその人間がどう見ても、一片の同情の余地もないほどの極悪非道の人非人であったとしても、
法治国家の中で罪を犯したのであったなら、
法によって裁かれて、罪を贖わなければならない、ということです。
同じ殺すのだったらば、正式に死刑の判決を待つまでもなく、
私刑で殺してやったらいいじゃないか、
どっちもおんなじことだろうと考えるのは間違いなのです。
法によらず、清丸を殺した人は、自分も「殺人」という罪を背負うことになります。
たとえ、被害者の家族であろうとも、それは赦されないことなのですね。
映画を観ていて思いましたが、いくら元日経連の会長から10億の報酬をもらったとしても、
もちろん、国外に退去ということもできないし、
やはり、前科者として、世間の制裁を浴びるでしょう。
日本は決して、ひとり勝ちを許さない国でも、あると思うのです。
そして、日本は永らく法が人を治めてきた、たとえそれが身分の高い藩主であったとしても、
過ちを犯せば、「腹を召す」ということも辞さない。
まさに、会津藩じゃございませんが、「ならぬことは、ならぬ」で
やってきた国なのです。
ですから、日本という歴とした法治国家である国の威信に賭けて、
私怨のために、護送中の犯人を殺されてはならないのですね。
どんなに、国民の税金の無駄使いといわれようが、人間のクズをそんなにしてまで
大切に扱わなければならないのかと罵倒されようが、
生きて東京まで護送されなければならない。
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現在の日本は下流社会ができた、貧困層と富裕層との二極化社会だ、といわれて
久しいですが、
まだ、自分だけのために、プライドも何もかも捨てて、
この映画のように殺人に走る人間が生まれる社会ではない、という希望は持っています。
いや、まだまだ日本の民度の高さというのは、そんなに簡単に壊れるもんじゃない、とも。
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とはいえ、もうぎりぎりの喫水線まで来ているかもしれません。
モラルの低下は。
やはり、ひとりひとりが心して自分の国を、世の中をよくしていこう、という
使命感が必要なのかな、と思いました。
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