レオ・レオニ展 [できごと]
昨日、夫サマに京都駅にある伊勢丹で開催中の
レオ・レオニ展へいきたい!といわれ、お付き合いしました。
レオ・レオニってどっかで聞いたことある名前かなぁ~と
思われた人多いかな、と思います。
そうですね、小学校の二年生の国語の教科書で「スィミー」で御存じかと思います。
ああ、あの一匹だけ黒いサカナな話!
と思い出された方いらっしゃるでしょう?
わたくし、子供が小さいときは、成り行き上図書館通いが続きましたので、
どうしても児童文学とか絵本と接することが多く、
そのときは子供に読み聞かせながら、本当に多くの名作と呼ばれるものに出会いました。
もともと絵本の原画というものは「絵本になることを想定されて」描かれたもののはずですが、
実際に原画をみると、絵本でみたものとはまた違う、深い深い感慨ってものがありますね。
だんぜんナマなものは絵本と違って迫力があるのです。
切り絵である、ということはわかっていましたが、その切り絵になる前の素材が
自分で木版画をこさえて刷り上げたものであるとか、
葉っぱの形のスタンプを作って、紙にペタン、ペタンとおしていったものであるとか、
あるいは、水に油を浮かべて墨流しのように絵の具をいれて作ったマーブル紙であるとか。
さりげないけれど、そこには気が遠くなるような行程を経て生まれた絵がある。
やはりレオ・レオニ氏というのは、妥協というものが一切ない芸術家なのだなという思いとともに、
しかしながら、そういう妥協のない作品をまだ人生のスタートを切ったばかりの幼子を対象にしている
ということに深く感動したのでした。
子供だから適当なものでいい、よく「子供だまし」ということばを日本人は使いますが、
子供だからこそ、最上級の美しいものに触れてほしい、という氏の愛が感じられますね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お話も、勧善懲悪とか教訓的なものではなく、
「自分は自分なんだ」「自分をつらぬくことは大変だけど、素晴らしいことだ」
「自分はほかの何物にもなりえない」
そんなメッセージが随所にちりばめられています。
解説を読んでいると、レオニ氏はオランダで生まれ、イタリアで大きくなった人らしいですが、
ご自身がユダヤ系であったため、アメリカへ亡命した人なのだそうです。
しかし、何人であろうが、どんなルーツをもとうが、美というものに憧れ、芸術家を決心したのには
変わりなく、そして、どんなに環境が変わっても芸術家であり続けた信念の人だったのだな
と思います。
どんな話もちょっと風変わりで、なるほどなぁ~というような話ばかりです。
そこがまたすばらしい。
アレクサンダとぜんまいねずみ―ともだちをみつけたねずみのはなし
- 作者: レオ・レオニ
- 出版社/メーカー: 好学社
- 発売日: 1975/04/01
- メディア: 大型本
Leo Lionni レオ・レオニの世界 (e-MOOK) (e-MOOK 宝島社ブランドムック)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2011/11/18
- メディア: 大型本
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
余談ですが、
よく似た絵本として、昔「にじいろのさかな」というのを持っていましたが、
わたくし、あれはいただけない本だなぁ~と思っています。
たぶん、「シェアリング」の尊さというものを表現したかったのかもしれませんが、
特別な存在だからこそ、あるいは人と違っているからこそ、誰かのために役に立っているということもあります。
にじうおのさかなは鱗がすべて虹色に輝く美しい魚でした。
しかし、それを人に見せびらかし過ぎたため、嫌われて相手にされなくなります。
そのため、にじうおは仲間に自分の美しいうろこをいちまいずつ、あげていくのです。
もらったみんなはよろこび、にじうおはにじうとでなくなった・・・・・。
これは一見、美談に思えるでしょうが、わたくしはね、これは偽善だと思うのです。
にじうおは最後までその美しい姿でほかの人の目を喜ばせる存在であったほうが
だんぜん存在価値があったはずなのに。
・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
レオ・レオニ氏のお話はそういうところからかけ離れている。
ひとりだけ真っ黒な魚だったからこそ、一族の危機を救えたスィミー。
世の中は「みんなちがって、みんないい」なのです。
出口のところに、読書コーナーがあって、レオ・レオニ氏が手掛けた本がずらっと並んでいました。
そこではもういい年をしたオジサマ、オバサマが座り込んでヒシっと本を読んでいる姿が印象的でした。
本物は、子供が対称のものであっても、大人を引き寄せる力があるもんなんですね。
コメント 0