そのときの気分 [ワタシのキモチ]

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わたくしの青春はまさにバブルまっさかりの時期でした。

今にして思えば、右肩あがりで、「おれってどうだ?スゴいだろう?」みたいな

「オレをみてくれ!オレを!」「アタシをみて!アタシを!」みたいな

アグレッシッブっていうか、反対にいえばガツガツしていたというか

行儀が悪いっていうか、そんな時代。

平成の今の世の中は~、そうねぇ、気分的にはバブル期ほど明るくないけど、

それでもあの頃と比べれば、何事も成熟して、洗練されているような気がするよ。

たえず、努力しているものだけが、今の状態をキープできるっていうか。

いいことばっかりでもないけど、そのかわりわるいことばっかりでもない。

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昨日、編み物の使う、棒針を買いに駅前のユザワヤへ行ったんです。それも初めて。

あそこ、なんていったんでしたっけ?

そうそう、ヨドバシカメラの中に入っているんですね。

もう、ヨドバシカメラとかビックカメラみたいなお店は、大嫌い。

もう、パチンコ屋さんの軍艦マーチみたいな曲がガンガンかかっていて

そういう高揚感のある曲を流していれば、心理的にイケイケ状態になって購買するのに

さらに拍車がかかるのかもしれないけど

わたくしは、ホシいものは欲しいけど、欲しくないものは一切買いたくないタチだし、

お買いものは、買うという行為に何よりも高級感とか奢侈とか

いつもはケチケチしていても、そういう付加価値を求めちゃうタイプだから

ホント、許せない。

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ユニクロでは、作るよりも気の利いた製品が売られている昨今、

自分でモノを作る意味っていうのは、「付加価値」しかない、と思う。

自分で作っても手作り感アリアリで、いかにも「おかあちゃん」の手作りでござい、

っていう作品しかできないのであれば、そんなもん、いらん、と思う。

(それを目指して頑張っている今日があるわけで

 そういう境地というかそういう技術をすでに獲得しているわけではないのよ、念のため)

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わたくしが北山のドログリーを強く推すのは、やはり作っていてもワンランク上のものが作れる、

っていう付加価値からです。

パリから送ってくる美しい色や質感の毛糸、そして洗練されたデザインが提示できるからこそ、

ドログリーの存在価値があると思う。

同じ値段払っていて、市販のものより劣っているものを作るくらいなら、作らない。

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この感想はわたくしの傲岸不遜な意見でして、これを読んでいる皆様に共通する

考えではない、ってことわかっています。

アンタナニサマ?っていわれそうだけど、

イエイエ、わたくしただのパンピーですが、

パンピーなればこそ、お金の使い道を真剣に考えるのです。

だって、人生は一回きり。

自分が人生の主人公にならなくていつなるんですか?ってハナシ。

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ちなみに、あたくしの愛する作曲家ドビュッシーって人は

フランス人だけど、まったくの庶民で、それもまともに学校すらいけないような人だったんだけど、

感覚がとても貴族っぽい人だったんだって。

そういう学校も出ていないため、まともに綴りもできないようなドビュッシーは

象徴主義的な、もっとくだけていえば、人工的に再構築したものが大好きだった。

お菓子も味さえよければいいの、みたなバーンとした焼きっぱなしみたいなお菓子はキライで、

ほんの少し、口に入るだけでいい。凝りに凝ったプチ・フールが好きだった。

たとえ、それが毎日食べられなくてもいい、それが三度に一度、いえ、五度に一度であってもいい、

それを食べたい、と思って生きていたそうですよ。

そう、わたくしもそんな風に生きていきたいの。


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