凄まじい夫婦喧嘩のそこには愛 ~オクシタニア~ [読書&映画]
佐藤賢一さんの小説が好きですっ!
ヨーロッパの歴史モノっていうジャンルがとても好きっていうのも
あります。
でも、彼の小説の中でも特に好きなのが、この「オクシタニア」かな?
オクシタニアってあの「ロクシタン」と同じ語源ですね。
昔はフランスといっても、厳密にはフランスの南部のほう、オクシタニアはフランス王国には属していなかった。
舞台はトゥルーズから始まる。
この小説ってとてもユニークでオクシタニアの人々は関西弁を話す。
でも、この設定もあながち根拠のないことではないらしく、
フランスのパリの人々はどっちかっていうと関東弁というか、東北弁という感じかな?
語源的にも、東北のほうの一般にいわれるズーズー弁ってフランス語に近いものがあるみたい。
フランスの南部のほうはまぁ、どっちかというとスペイン語っぽいので、関西弁なのかな。
作者自身が東北の人だから思いついたことなのかもしれません。
作中の人物たち、トゥルーズの人々は
「パリのものたちは、このトロサの地を、野暮ったくトゥルーズなんて呼んでいる。 かっこわる」
というふうに自分たちのお国なまりをむしろ誇りに思っているんですね。
そこは上方のひとたちと同じ感覚かな。
さて、時代は13世紀、場所はもちろんトロサ。
フランスは内乱の時代だった。フランス側からシモン・ド・モンフォールが攻めてくる。
自治都市だったトロサの男たちは、攻防のため、闘いに駆り出される。
ここに一組の恋人たちが登場する。
男のほうは、エドモン・タヴィヌス。
女はジラルダ。
エドモンは男ぶりのよい、気骨のある好漢。
ジラルダはエドモンと二つ違いの幼馴染。
一見、お似合いのふたり・・・・?って感じなのだが、仲間内ではそうは思っていなかった。
「エドモンなんでジラルダなんかと一緒になるんや?
エドモンみたいなええ男やったら、もっといい嫁はん、なんぼでももえらるのにな」
そうなんですね~。発端はジラルダがどう見ても、エドモンには不釣り合いなことなんです。
わたくし、自分がちょっとそういうの入っているから、このジラルダの気持ちよくわかる。
自分では一生懸命努力しているのに、傍からみたら「旦那はハンサムでええやつやのに、ヨメハンのほうがなぁ~。
エドモンってあいつ、マニアやったんか~」っていうわれるの、結構こたえるもんですよね。
でも、男のほうは案外そういう噂にはニブチンっていうか、自分が幸せなので、
ヨメサンもシアワセだ、と信じているというところから、悲劇の幕は切って落とされる。
ある日、なんとジラルダは当時の新興宗教であるカタリ派に入信してしまうのです。
なんだか前々からジラルダの様子が変だと思っていたエドモン。
しかし、ジラルダはあろうことかわざとエドモンの家を留守にしている隙に
なんの言伝もなく、家を去って行ってしまう!
「どうして?どうして?ジラルダ!ぼくら、あんなに仲が良かったやないか!」
「エドモン、うちはあんたのその物分りの悪いところにへきえきしてるんや。」
エドモンから立ち去ってしまった妻、ジラルダ。
カタリ派のなにがそんなによかったんや?
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カタリ派というのは、キリスト教の異端の一種なんですが、
まぁ、グノーシス主義の生き残りなんですね。
グノーシスの考えというのは、とても古く、もともとキリスト教以前にあった
ギリシャ周辺のものなんです。ですから、グノーシス主義というのはなにもキリスト教の専売特許というわけではなく、
マニ教やゾロアスター教なども、グノーシスの影響があるかもしれない。
キリスト教、というかユダヤの「創世記」の神、エホヴァは全知全能の神にして、万物創造の神、
絶対的な善のはずです。
が、グノーシスの教えるところでは、このエホヴァというのは、ソフィア(知)の独断的な想念により創造された、
不完全な神、ということになっているのです。
本当の完全な神というのは、このエホヴァの支配している「この世」から遠く隔たった世界に存在している。
なんか日本の密教みたいな感じもする・・・・。グノーシスの説く完全の神って「大日如来」みたいね。
その不完全な神に創造されたわれわれ人類は、一刻も早く、この煉獄ともいえるべき「この世」から
脱出することが必要なのです。
だから、赤ちゃんが生まれることなんてまったくめでたいことじゃないですよ。
人間はむしろ、全滅しないといけない。だから極端な禁欲を説くんですよね。
この世のシアワセを求めちゃいけないんです。
・・・・ちょっと難しいでしょ?
まぁ、でもこういう正反対な考えをされると、ヴァチカンも世俗の王も困るわけですよね。
だって、「この世に生きていることすら無駄なこと」といわれたら、
もちろん「産めよ、増えよ、地に満てよ」なんていう創世記のコトバなんて
神の祝福のはずなのに、カタリ派にかかっちゃったら呪いというか、呪詛のコトバにかわっちゃうんです。
ですからジラルダはエドモンの結婚なんて!無駄なことなんや!
と思い、出家してしまうんですね~。
愛妻を失って涙にくれたエドモンは決心する。
「絶対に復讐したる、カタリ派のやつ、一人残らずやっつけてやるんや!」
ってどうなったかというと、生来賢いエドモンは、心機一転、
パリ大学の神学部に入って、本格的に哲学、神学を勉強し、さらに異端審判で有名なドミニコ会へ入会し、
なんと自らが異端審判官となって、可愛さあまって憎さ百倍になった、元妻ジラルダに一矢報いようと
虎視眈々とその機会を狙うようになるのです。
で、エドモンばぼーさんになると、怖い怖い。冷たくてスマートなバリバリの異端審問官。
そこらへんの阿婆擦れなんて、大泣きさせて、あっという間に回心させてしまう。
対するカタリ派の最高権威といわれる寛徳女となったジラルダも負けてはいない。
結局、ジラルダは何か一生懸命やって達成したかったんですね。わかるよ、その気持ち。
思うに、エドモンはジラルダに何かをさせときゃ、よかったんです。
家の商売をさせて、それに専念させる、とか?
ただ、キレイに着飾って、おいしいものを食べて、旦那が帰ってきたら、それでシアワセな夫婦生活・・・・
なんてものにな~んの魅力も感じなかったんでしょうねぇ。
そうゆう女になるには、ちょっとばかりジラルダは頭が良すぎて、感受性が強すぎていたのよ。
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なんだかんだで、エドモンとジラルダは対決する日がくる。
丁々発止の夫婦喧嘩が・・・・。
でも、ただの夫婦喧嘩ではない、カトリックの権威とカタリ派の信念をかけての闘い、ですね。
トゥールーズの領主、レイモン6世は、その時の状況に応じてカトリックについたり、
カタリ派に肩入れしたり、日和見主義・・・・。
んんん~、なんか昔の日野富子と足利義政との「花の乱」みたいですね。
でもでも、憎み合っていたようでも実はこのふたり、
心の深い深いところでは
お互い求め合って、愛し合っているんです。
ジラルダは知っていた、エドモンがどういう男だったかを。
エドモン、あんた底抜けにやさしすぎるから。
あんたなんでも、うちのしてほしいことしてくれるやろ?うちは甘えに慣れすぎて、
ダメになると思ったんよ・・・・。
あ~、わかるな、その気持ち。夫婦といえどフィフティー・フィフティーじゃないと
その均衡が保たれないっていう、その感覚。
エドモンはできる男だったから、なんでもやりすぎたんですよね。
妻はペットじゃないんだから、カワイイ、カワイイではイヤなんです・・・・。
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これでやっと、ジラルダを取り戻すことができる。あのにっくきモン・セギュールの罰当たりなやつらから。
と、思った瞬間、するりと手の間をすり抜けるようにジラルダは・・・・。
涙、涙の結末です。
わたくし、実はけっこう「ツンデレ小説」が好きなんだってことに気が付きました。最近。
エドモン、タイプです。いいなぁ~、こんな人。
「ジェーン・エア」、「トワイライト」・・・・なぜにこんなに好きなのかと分析してみると、
男の人がどんなに女のほうからひどいことされようと、無視されようと
愛してくれている・・・んですね。心の底から。
実際にこの世の中、そんなこと、ありえないから
そういう懐の深い人にあこがれてしまうんでしょうネ。・・・アハハ
お祝いのコメントありがとうございました(笑)。
by ため息の午後 (2012-04-16 19:55)
>RodoringesEXさま、niceありがとうございます。
>ため息の午後さま。nice & 返信のコメントありがとうございます。
改めておめでとうございます。すばらしいです。
by sadafusa (2012-04-16 21:56)
>月乃さま いつもniceありがとうございます!
by sadafusa (2012-04-17 11:35)