La vie aventureuse de D'artagnan  ~ダルタニャン物語  ⑦ 人物紹介 リシュリュー~  [シリーズで考える深い考察]

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いかにもってかんじのキツネ顔 笑

このダルタニャン・シリーズおかげさまで、皆さまによく読んでもらえているようで

とても光栄に思います。

で、ちょっとびっくりしているのがアトスの人気の高さです。ほかの三人の比じゃありません。

アトスだけがずば抜けて高い!

一番人気がないのがどういうわけかダルタニャン。

みなさま、アトスのようにまっすぐで高潔な人柄に惚れるんですね・・・・・。

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さて、今日は悪の権化、枢機卿リシュリューの回ですね。

こどものための「三銃士」だと「悪 vs 善」という勧善懲悪的対立のほうがコントラストがはっきりしていて

わかりやすいのでリシュリューは、ショッカーの首領と同じような扱いですが本当はどうなのでしょうか?

でも、わたくし、子供版の抄訳での「三銃士」を読んだのがたぶん小学校五年生ぐらいの時だったと思います。

そのとき、リシュリューが悪者だということに露疑いはしませんでしたが、

「どうも王妃さまは、よその国のエライ人を好きになって、

王様からもらったダイヤの首飾り(ホントは房飾り)を

勝手に愛の記念として与えてしまったというけれど、

これって王様に対してすごく失礼だし、イケナイことじゃないの?」

というものです。

それに、三銃士+ダルタニャンって王様のケライのはずなのに、なんで

王妃様のためにわざわざイギリスまでいかなきゃならないのだろう?

リシュリューに味方をするとまではいかなくても、

王様に「王妃さまはいけないことをしていますよ」

とご注進してもよさそうなものなのに・・・・と11歳なりに不思議だったのを記憶しています。

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 史実に残るリシュリューも自分がいつ、足元をすくわれるかわからないので

フランスの国内外にスパイを放ち、諜報活動をさせていたというのは有名なハナシだそうだ。

ね?そういわれればそうだな・・・とみなさんも思われませんか?

デュマはとにかく迫力ある文章が得意ですので、あんまり不自然にも思わないで

お話にのめり込んでしまうのですが、よく考えるとおかしいと思うこといっぱい。

じゃ、本当のリシュリューってどういう人なのか考えてみたいナと思います。

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枢機卿およびリシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシー(1585年9月9日 1642年12月4日)

カトリック教会の聖職者にしてフランス王国の政治家。1624年から死ぬまでルイ13世の宰相を務めた。

こういっちゃうと、なんか簡単ですね・・・・。

この人、アルマンっていうんだ。椿姫の恋人とおんなじ名前ですね。

いや、こんなんじゃ、全然わからないので、もうちょっと詳しく調べてみましょう。

リシュリューはフランス西部出身の下級貴族の三男としてパリに生まれました。

へぇ~、ですね。大貴族出身なのかと思えば、下級貴族ですか・・・。

しかし、身分としては下級貴族でしたが、父親のフランソワは軍人にして宮内裁判所長官、

そして母方の祖父は著名な法学者だったそうです。ではリシュリューの政治的手腕はこの父方、母方からと両方の

血統のものだったかもしれないですね・・・・。

9歳のとナバラ学寮へ入学。哲学を学ぶ。

・・・・ナバラということはこの人もガスコン?

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ですが、父親が三十年戦争で戦死したため、アンリ四世はその報償としてリシュリュー家に

「リュソン司教職」を与えました。当時、職は売ったり買ったりできたみたいです。

最初はこの司教職をほかの聖職者に与えて、その実入りといいますか収入で

リシュリュー家は食べていたようです。でも、政府のほうから、実際にリシュリュー家の中の誰かが

司教に就かなければいけないいわれたようです。

で、すったもんだの末、まだ未成年のアルマン少年がこのリュソン司教になります。

実際まだ未成年ということで、司教になるのを危ぶまれたのですが、年若くても非常に聡明なことが

わかり、ヴァチカンも特例としてアルマン少年が司教になることを許可しました。

そして、マリー・メディシスの寵臣であるコンチーノ・コンチーニという冗談みたいな名前のイタリア人の

目に留まり、そこからリシュリューの出世街道が開けたわけです。

しかし、こののち、リシュリューは宮廷内の対立で揉まれに揉まれます。

まず、ルイ13世と母后マリー・メディシスの反目。ルイは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のことわざのとおり、

マリーの息がかかった連中を毛嫌いしました。マリーの寵臣コンチーノはもちろんのこと、コンチーノの

お気に入りのリシュリューも大嫌い。

ルイは自分の側近であるダルベールを用いることでコンチーノの追い落としを図ります。

ついに、コンチーノ処刑。ルイは「リシュリューを悪魔のように憎んでいる」とまで言いましたが、

国家存亡の危機にたち、そんなことも言っていられなくなりました。

なんせ、リシュリューは有能でしたので。

このころはまだ国王の地位も大貴族によって常に脅かされ、危ういものでした。

そして、フランス国内でのプロテスタントとカトリックによる宗教分裂で常に争っています。

リシュリューはこれは何とかしないといけないと思いました。

「私の第一の目標は国王の尊厳、第二は国家の盛大である」

つまり内憂外患のフランス国を目の当たりにして、

リシュリューは国王の地位を不動のものにして、中央集権国家を確立させ

国内の楯つく反乱分子を一掃してしまうのでした。

そして、カトリック王国としてのフランスを統一します。ですからプロテスタントの抑制にも努めました。

しかし、その一方で同じカトリック王国であるハプスブルグ家の繁栄を恐れ、

フランスよりも力を持たせないよう、あの手この手で抑制しようとします。

ときには、プロテスタントに手を貸し、ハプスブルグ家の進出するのを抑えようとするという

鉄面皮なこともやりのけました。

国家の繁栄ということであれば、手段を択ばないのです。

リシュリューには信念がありました。

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「フランスはあらゆる他国を抑えて強大にならねばならぬ」

「この信条に従わないものはすべて、国家の敵である」

う~~ん、すごいですねぇ。

ですから、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュとの結婚は250px-MariaAnnaofSpain06.jpg

カトリック勢力のフランスとスペインとの軍事的・政治的同盟のなにものにもほかなりませんでした。

が・・・・・。

結婚して16年、何度か妊娠はしたもののすべて流産。

そして、度重なる不倫。リシュリューもこの尻軽のスペイン女にはほとほと手を焼かされていたようです。

ルイ自身も男としての沽券にかかわることであり、この軽薄な妻のせいで

極度のストレスを強いられ、すでに22歳で若ハゲの危機に見舞われ、

鬘を着用することが、のちのファッションとして鬘につながっていくのです・・・。皮肉ですね。

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 これもひょっとして鬘なの~~ん?

いや~~ん、みちゃダメよ~ん。

髪ってストレスに弱いのよ、知ってた?

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そこで、話はもとに戻るのですが、リシュリューは「三銃士」の中でアンヌを追い詰めることで

どうさせようとしたのでしょうかね・・・・・。

王妃としての名誉がリシュリューによって汚されるから、ということで

ダルタニャンと三銃士はイギリスに渡ったような気がするのですが、

イマイチそこが理解しきれなかったような気がします。

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バッキンガム公ジョージ・ヴィリヤーズは200px-GeorgeVilliers.jpg

敵国フランスと戦争中だというのに、王妃と密会するという

ふざけたマネをしてくれるのです。

そのとき、フランス西部のビスケー湾に面する港、ラ・ロシェルはフランスのユグノーの拠点となっていました。

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 リシュリューはもともと聖職者より軍人志向だったので、

軍の指揮を執るのも得意だったみたいよ。

戦う枢機卿。

同じプロテスタントのユグノーを助けんとバッキンガム率いる英国艦隊はラ・ロシェルを救援しようと

駆けつけますが、自らが包囲軍の指揮官となって攻め入ったリシュリューに敗れ、ヴィリヤーズも

英国陸軍フェルトンにあっけなく暗殺されてしまいます。

お話では、ミラディがフェルトンを使って暗殺させたことになっていますが。

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このように、リシュリューは冷徹なマキャベリストであった半面、国益のが増すことのみを考えていた

類まれなる無私の人であったという器の大きな辣腕政治家でした。

為政者として広い度量を兼ね備えていたのです。

彼はどんなにルイ13世に疎んじられようが、フランス国王としてのルイの威厳を傷つけるようなことは

どんなことであれ、決して赦しはしませんでした。

国力を富ませるため、権謀術数のあらゆるすべてを駆使したことは言うまでもありませんが、

また文化的にもヨーロッパ第一級の国になるため、「フランス語の純化」に努めたり、

アカデミー・フランセーズを創設したのも実はリシュリューなのです。

・・・・一国の宰相までに登りつめる人は、クセがあってもそれなりに大きな器だったということです。

実際、ダルタニャン物語でも、リシュリューが亡きあと、銃士たちはしきりとリシュリューの時代を

なつかしんでいるのです。


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コメント 4

sadafusa

> 月乃さま niceありがとうございます!

by sadafusa (2012-05-14 20:12) 

芳芳

リシュリューは、「大人物」だったのですよね♪ 面白く読ませていただきました!
by 芳芳 (2012-05-15 03:58) 

sadafusa

>芳芳さま コメントありがとうございます!

 リシュリューは実在した人物ですので、ちょこっと勉強しました 笑
 
 一国の宰相ですから清濁併せ呑む豪傑だったんでしょうね。
 キレイごとではすみませんよ。
 彼が絶対王政を敷いたから、ルイ14世の華やかな時代が
 あったわけですので・・・。偉大な人はどこか惹きつけられますね。


>ため息の午後さま

 niceありがとうございます。
 長谷寺、次はアジサイを楽しみにしております♡
by sadafusa (2012-05-15 19:51) 

sadafusa

>月夜のうずのしゅげさま niceありがとうございます!

by sadafusa (2012-05-17 22:49) 

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