イラン初の快挙  イランの家庭の現状を描いた秀作  ~別 離~ [読書&映画]

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今日はちょっと珍しいイラン映画 「別離」っていうのを見てきました。

この映画、テーマがイランの家族間の葛藤を描いたに過ぎないのですが、

世界各地で評価され、

第61回伯林国際映画祭 最高賞である金熊賞を満場一致で受賞。

さらに、銀熊賞(男優賞・女優賞)受賞、

そして第84回アカデミー賞 外国語賞受賞

ゴールデングローブ賞 外国語賞受賞という、イラン初の、数々の栄誉に輝いた作品です。

すごいね~

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わたくしたち、日本人は明治時代からすごい近代化の波が押し寄せ、

1868年の開国以来、ものすごい勢いで生活も考え方も西洋化されてきたと思います。

うちの娘なんて、高校に入るまで、神社とお寺の違いもわからず、

ふすまや障子のことを「紙のドアー」とか平気でいっていたのですから、

後は推して知るべし、といったところです。

でも、意外とわたくしたち日本人はこの現状が当たり前と思っていても、

遠く隔てた西洋やアメリカの人は、日本というと「フジヤマ、ゲイシャ」で

いまだに人力車が走っていたり、駕籠があったり、チョンマゲのサムライがいるんじゃないか

と勘違いすることにひどく腹を立てたりしますが、

そういうわたくしたちだって、中近東の人達のくらしぶりっていうのはよくわからないですよね。

チャドルを被った女の人でも、車の運転もするし、お受験だってあるし、っていうと

え?って一瞬びっくりするけど、よく考えてみれば、そんなこと当たり前なのです。

なにか、チャドルを被っていたり、宗教的戒律の違和感からつい、

本当のことが見えてなかったりするものなのかもしれないです。

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さて、このお話は、夫婦間の家庭裁判所の調停の部分から始まります。

この夫婦は離婚のことでもめているのです。

調停員は妻に尋ねます。

「ご主人はあなたに暴力をふるったり、ひどいことをするのですか?」

「いいえ、夫は大変いい人なんです、ですが私がすごく苦労して、外国へ移住権を取ったにも

かかわらず、外国へ行くのはいやだ、っていうんです」

「なぜ外国へ?」

「だって娘にもっといい学習環境を与えてやれるでしょう? この国では十分とはいえません」

そこで夫である男性がムカっとしたカオで言い返す。

「だって僕には父がいる。しかもアルツハイマーに侵されているんだ。

そんな父を見捨ててどうして外国へ行けると思うんです?」

「じゃあ、あなたは娘のことには無関心なの?」

「父親を見捨てて外国へ行ったって幸せなんかになれないはずだ!」

「あら、お義父さんはあなたの顔をみても誰だかわからないじゃない!」

延々と続く夫婦喧嘩・・・・・。

ふたりの間に一体何があったの?

ぐいぐいと映画の中に引き込まれていきます。

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 この映画を見ていると、イランというか中近東という国は男に甘くて、女には厳しい国だなぁ、と思うんです。

なにが、っていってまず服装の制約ですよね。

男の人はアラビアのロレンスみたいなターバン(っていうの?)を付けている人なんて誰もでてこないし、

みんなジーンズにTシャツ。そのままふらっとアメリカやヨーロッパへ行ったって

全然違和感ありません。

それにくらべて女性。絶対に女性は家の中であっても、ストールというかスカーフを巻いてなきゃならないですね。

それで、もっと保守的な人になるとその上からがばっと全身を覆う黒い布を巻きつけています。

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こういうのを我々がみると、「息苦しい」「おしゃれができない」「女性の近代化ができてない」って思います。

でも、イスラム圏の女性はそれで満足しているんだから我々が口出しすることないだろう、と考えるのも

また違うらしくて、やっぱり件の女性が外国へ移住したい、と思ったのも

こういう女性だけに課せられる社会的制圧が重苦しく感じているからです。

イランでも中流から上の人は女性だって結構教育はありますし、海外テレビドラマも性的表現の激しい箇所は

カットされるにしてもそのまま無修正で放映されます(というか、修正のしようがない)から

ことさらに、欧米へのあこがれが募りますよね・・・・。

(ただし、こういう昔ながらの黒いスカーフに長衣をさっと身にまとう姿っていうのは、

日本の昔の女性の着物姿と重なるところがあって、

イスラム女性の慎ましさというか、威厳があって西洋的な美しさとはまた別の美があります。)

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あと、介護の問題もありますし、ボケ老人が粗相したとき、もしヘルパーさんが女性だったら、

その体に触れたり、男性の体を見たりすることも時と場合によってはできなかったりするので、

本当に大変です。

だからといって、こんなイスラムの教えが旧弊すぎるからもっと近代化すべきだ、

長幼の序もとっぱらったらいい、っていうのもちょっと違うかな~と。

このお話には誰が悪くて誰がいいという、明確なラインはありません。

出てくる人、それぞれに家庭の事情を抱え、それなりに弱点もあるし、人間としての欲もあるし、

ごく普通の人々しか登場してきません。

だからこそ、よけいに堪えるのです。

初めは、家庭裁判所へ行って、ガンとしていうことを聞かない夫へのちょっとした制裁として

妻は実家にもどるんですね。

そうすると夫は仕事があるし、かといって父親をひとりにさせておくことはできない。

それでお手伝いさんを雇うんですが、

それがみるみるうちに大事件に発展して、思いもよらぬ大きな亀裂が夫婦間に入ってしまう。

こうなったら、今までたわいない夫婦喧嘩ですませて、すぐに仲直りできたであろう二人も

決しても元に戻れない別離へと向かわなければならない。

父親をとるのか、母親をとるのか、どちらかを自分で決めなさいと調停員にいわれる娘。

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「決めましたか?」

「はい・・・・」

「どちらですか? おとうさん?それともおかあさん?」

「・・・・・・・」

「決めてないのですか?」

「いいえ、もう決めてあります」

11歳の娘は、自分の決断をいいかねて、泣きそうになるのをこらえて微笑む。

初めは両親とも娘の幸せを願っていたのに。

こんな結果を生むとは誰一人として想像もしていなかった。

涙、涙のラストです。


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