キリスト教における正統と異端  ③原罪ってなに?  [シリーズで考える深い考察]

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今日もあっついですねぇ~

暑いのに、こんなメンドくさいトピを立てているわたくしもどうかしている、

と我ながら思うんですけど、

でも、でもね。キリスト教っていうのは、別に信者にならなくても、その文化を楽しむには

面白い宗教だと思うんです。

みんなヨーロッパへ海外旅行へ行くでしょ?ルーブルへ行ったりプラド美術館へ行ったり、

あるいは大英博物館へいくこともあるでしょう・・・・。

でも、西洋絵画っていうのは、宗教的あるいは歴史的テーマがない、

すなわち「その絵」だけを見て楽しめるのは近代以降なんですよ。

だから、キリスト教、とくにカトリックの教義を多少知っていると面白い、と思うの。

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ということで、今日は日本人にもっともなじみがない考え方「原罪」にいきたい、と思いマス 笑

さて、前回ですが、「人間は罪がなければ死ななくていい」といいましたね。

でも、人間は絶対に死ぬ。理論上、どんなに罪がない人でも。

なぜなら「生まれながらに背負ってきた罪があるから」と。

では、どうしてそんな考え方が生まれたのかっていうのをちょこっと考えてみたい。

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みなさん、旧約聖書の中にあるアダムとイブのお話って知ってますか?

あるとき、神様は天地創造されたんです。(なぜか、といわれてもわたくしにはわかりませんが)

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神様は、混沌としたカオスの中から渇いた大地と海を分けられ、空をつくり、

山をつくり、川をつくり、緑をつくり、そして

つがいの動物をつくり、っていろいろやられたわけです。

そして最後に「ん~、なんかものたりな~い」って思われたんです。

そこで、「わたしに似せたイキモノを作ろう・・・」

そうやって泥からこねて作ったのが人間、アダムなんです。

土くれから作った人間なので、神様はアダムの鼻にふっと息をかけて

生命を吹き込んだのですね。

神様は自分の喜びや悲しみっていうか、自分の考えに共感してくれる存在ができて

満足だった。

そして、美しい花々が咲きこぼれる楽園、エデンの園に彼を住まわせた。

でも、アダムって、神様がいなくなるとなんとな~く所在なさげでさみしそうなんですね。

神様はそれを見て、「ん~、アダムもその、なんだな、さみしいのかもしれんな」

と思い、仲間を作ってやろうと思ったのです。

そしてアダムが眠り込んでいるとき、アダムのあばら骨をそぉ~っと一本抜き取り、

そこから作ったのがイブ。

アダムはなんだか知らないけれど、イブという仲間が出来てうれしかった。

でも、同じようでも、自分とイブってなんとな~く体の印象が違うな、とは感じていました。

でも、まぁ、神様のなさったことだから、とそこは深く追求せず、毎日毎日楽しくふたりで暮らしていました。

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あるとき、神様はアダムとイブに向かってこうおっしゃいました。

「おまえたちは、ここで何をしてもいい。だけど、このエデンの園の真ん中に生えている

「命の木」と「知恵を知る木」の身を食べてはいけないよ、

あれを食べると死ぬからね・・・・」

「へぇ~、そうなんですか。わかりました」

ふたりは「死ぬ」ってことはどうなることなのか具体的にはわからなかったけれど、

神様が恐ろしげに注意された、ということは、おそらく食べたら大変なことになるのだな、

と思って、用心深くその二つの木に近づくこともしませんでした。

ところが、ところがですよ~

ある日、のほほんとおなか一杯になって昼寝をしようと思っていたイブのところへ

へびがやってくる。

「イブさん、イブさん。ちょっと、ちょっと」

「あら~、ヘビさん。お久しぶり。なんか御用?」

「あなた、神様から「命の木」ってのと「知恵を知る木」っていうの、たべちゃダメっていわれたんですって?」

「そうなのよぉ~。なんでも食べたら死ぬんですって。毒でもはいっているのかしら?」

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「イブさ~ん、あんた本当にお人よしね、あれはネ、すんごくおいしいんです。

だけど、神様はぜ~んぶ独り占めにして、あんたたちには食べさせたくないんですよ。

もぉ~、ほっぺたおっこちますよ。あたしゃ、知ってんです。

イブさん、あんなにたくさんあるんです。一個ぐらい食べてもわかりませんて。どぉ~」

とコトバ巧みに誘うんです。

「でも、ダメって言われているのに、そんなことできないわよ!」

「そう・・・。まぁ、なんとバカ正直な。あたしゃ親切のつもりで言ったんですけど、

 ま、強いてとはいいませんよ。じゃね」

そういわれると、むくむくとイブの中の好奇心がもたげてきて、

「ダメよ、ダメダメ」

「でも~、食べてみたい」

というココロの葛藤が生まれるんですが、ついにはその好奇心に負けちゃうんですね。

イブは意を決して、「知恵の木」の実をひとつかじって食べてみた。

う・・・・・ん、おいしいけど、でも、ほかのものよりとびきりおいしいかなぁ???

とおもっているうちに、イブは今までぼんやりとしていた心地から急に頭がしゃっきりしてくるような気がした。

向こうからアダムがやってくる。

アダムは当然裸です、自分も裸です。

そして、その違いは突然はっきりとわかってきた。

そして、そして、彼のカラダをみると、今まで感じなかった体の奥底で疼きのようなものが

突き上げてくるのを感じた・・・・!

そういう感情をイブはたまらなく恥ずかしいと思い、こんな感情を自分ひとりで感じているのは

いやだと思ったのです。そして、彼女はアダムにも「知恵の実」を食べるように勧める。

アダムは始め、かたくなに断っていたのですが、やはりイブの誘惑に逆らいきれなかった。

そして、ふたりはとうとう、禁断のこの実を食べてしまった!

するとどうでしょう?

なんで今まで、無邪気にふたりして裸でいられることができたのか、とおもうぐらい

お互いのカラダが気になってしょうがない。

だからふたりは、いちぢくの葉で、局所を覆った。

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ある日、神様はいつものように、アダムとイブを呼んだ。

だけど、ふたりはいつものように、無邪気に「はぁ~い」とは出てこない・・・。

いぶかしく思った神様は二人を探した。

すると、ふたりはいちぢくの葉をつなぎとめたものを腰にまわして

ビクビクしながら縮こまっていた・・・・。

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神様は、一瞬にしてわかってしまった。ふたりがどういう事態に陥ったかを。

「お前たちは、私の約束を破ってしまったのだね、あれほど

「知恵の木」の実を食べちゃいけないっていっていたのに」

「ごめんなさい、神様。でも、私が悪いんじゃないです、イブが食べろ食べろって言ったんで」

「ごめんなさい、でも、私ばっかり悪いんでもないです。だってヘビが言葉巧みに誘うから、

つい、好奇心に負けちゃったんです」

ふたりとも、責任を他人になすりつけて、自分の非を心からわびようとしなかった。

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神様は、悲しみと怒りで大きなため息を一つつくと、

「もうこうなってしまったからには、仕方がない。

 お前たちはここにもう、置いておけない。お前たちの最大の罪というのは、

 私とお前たちの間に垣根を作ったということだ。つまり、ヒミツを持ったということなんだよ。

 イブよ、お前は今自分が「女」だということを自覚しただろう?

 お前は苦しんで子供を産む。そしてお前の夫となるアダムに従わなければならない。

 アダムよ、お前も自分が「男」だということを自覚したろう?お前は地に汗をして働き、

 子供と妻を養っていかなければならない。そして、年老いて死ぬ。

 知恵の実を食べたということはそういうことなのだ」

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とふたりは楽園追放!です。

・・・・つまり、この話を読んでいると「生殖」というのは罪の結果の行為なんだとしか思えないですね。

 罪の結果、子供が生まれる。その子供も、結婚して子供を作るのは逃れられない罪。

 つまり、原罪なのかなぁ~と。

 こういう考え方って全部のキリスト教でとっている考え方ではないし、昔の教父たちのそれこそ

理屈をこねまわした教理なんて知らないし、理解できないので、こんなもんかとおもうんですけど?

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それにしても、神様、意地悪だとおもいませんか?

なぜに、人の目に触れるところに「禁断の木の実」を置いておく?

それがそもそもの間違いの発端じゃないですかねぇ?

それにさ、どうして男と女をあらかじめ分けて神様は創造したの?

こういう結果を招くことは十分に前もってわかりそうなもんじゃん?

人間を試しているの?

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ちいさいとき、この話を聞いて、ヘンだヘンだと思っていました。

なぜ、神様はニンゲンに間違いを犯す可能性という余地というものを作ってしまったんだろう?

完全に自分の言うことだけを「間違いなく」きく存在にしておけば

こんな面倒には巻き込まれなかったのに・・・・・。

(この疑問はよくよく覚えておいてくださいね。あとで異端のときに

 いまのこのギモンが役に立つときがきます・・・・)

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でも、ですね。大人になってこう考えました。

神様だって、ロボットみたいな反応しか示さない人間を作ったって面白くもおかしくもないんですよ。

だって、意外な反応を示す、ってところが人間の醍醐味なんですから。

そういう意味で人間を観察するってことは

神様の大いなる娯楽なのかもしれないです・・・・・・・。

懸命にもがいて生きている人間はやっぱり面白いでしょう・・・・神様から見ればね。

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ふっ・・・

人間って何なんですかね・・・ってハナシですね。

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っていうか、この創世記の話はなにもユダヤ人だけの話じゃないんだと思うんですよね。

たぶんメソポタミアの古い古い言い伝えなんでしょう・・・・。

そこに無理やりユダヤ的な味付けをするから、どうしてもこんなふうな「理不尽」な神様に

仕立てあがるんだと思うんです。

それをやっぱりキリスト教になってからの神学者が四苦八苦して

その理論を展開させる、ってところが真相のような気がします☆

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ハイ、原罪についてだいたいのところは解ってもらえたと思います。

で、イエスですよ、

キリスト教は妙に「イエスは処女マリアから生まれ」ってところを強調していますね。

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そうなんです。つまり原罪のモトである生殖行為の結果、この世に生まれ出でた存在じゃない、

ってことを教会は強調したいんです。わかった~?

だから、イエスはね、死ななくてもいい、っていうか神の子なんですよ、神性があるってことなんです。

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で、のちの世になるとめちゃくちゃ聖母信仰っていうのが盛んになるんです。

本当はローマ・カトリックは聖母の神性というか信仰なんて認めたくないんですけど、

どうしても民衆の要望を抑えることが出来なかった。

それで聖母の神聖な存在ってことを認めたんです。

その結果、聖母マリアも「原罪」から逃れている、っていうことになってんです。

ですから、スペインのムリーリョあたりがとってもすてきな

「無原罪のお宿り」っていうタイトルの絵を描いていますね。

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あれは、天上にいるマリアがイエスの母となるために、

マリアの母アンナ(つまりイエスのおばあさんにあたる人)のおなかから

生まれることを祈っている絵なんです・・・・。

プロテスタントの人は聖書第一主義なんで、聖書にはどこにも、そんなことが書かれていませんので

聖母信仰っていうのはないんです・・・・・汗


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コメント 1

sadafusa

>月乃さま 月夜のうずのしゅげさま ため息の午後さま

  nice ありがとうございます!
by sadafusa (2012-07-19 23:25) 

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