人と自分の関係 ~私とは何か by 平野啓一郎~ [読書&映画]
最近、平野さんにどっぷりはまっております。
今日はこの本を紹介しますね!!!
もうこの人、わたくしより一回りもシタのお若い人なんですけど、
昨日読み終わった「一月(いちげつ)物語」なんて
もしかして、わたくしのためだけに(!)書かれたお話じゃなかろうか?
とドキっとするくらいツボでした。
よく、作家さんのところに「あの小説は実は私が書いたのだ、盗作だ!」
みたいなアタマがおかしいとしか思えない手紙やメールが来るってハナシを
昔よく聞きましたけど、ちょっとそのアタマのヘンな人のキモチもわかるなって
この本を読んで思いました。
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平野さんは京大在学中に「日蝕」でデビュー。
森鴎外か夏目漱石か、あるいは中島敦を思わせるような擬古文で、
学生とは思えないほど重厚な文章をお書きになって芥川賞受賞。
わたくし、そのとき単行本を買って読んでいたんですけど、
素材がキリスト教の異端審問とかホムンクルスとかアンドロギュヌスという
わたくしのだぁ~い好きなモチーフにあふれていたにもかかわらず、どういうわけか
心の琴線に触れずじまい↓
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んで、どういうわけか、今年の春、ショパンとドラクロワを扱った「葬送」という作品を
偶然手に取って読んだら、めちゃくちゃ感動しちゃって・・・。
今日にいたっております。
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でも、平野さんはこういう端正なお話も書かれる一方で、文体もジャンルも、全く違った作品を
ポンポンとお書きになるんですね。
で、最近「かたちだけの愛」や「顔のない裸体たち」「決壊」「ドーン」と読み進めていくうちに
平野さんの小説のテーマというのは「人間関係」なのだなぁと思い至りました。
で、特に「ドーン」を読んでいると「分人主義」というのがでてくるんですよ。
英語で個人のことをindividualといいます。
dividual ディビデュアルというのは「分けられるもの」という意味で、それに否定の接頭語 in と付けると
「これ以上分けられないもの」つまり、ひとつの人間ですよね。
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で、ちょっと話はそれるんですが、
例えば、わたしたちが付き合う人間関係って、それぞれ微妙に違いません?
たとえば、自分の両親に見せる顔と、友人に見せる顔、あるいは恋人や配偶者に見せる顔。
それぞれ違いますよね?
それは、それぞれ、親なら親向けの、友人向けの、あるいは恋人や配偶者向けの「自分」というペルソナを
演じているんだ、とか、本当の自分を偽っているんだ、とか今まで言われてきました。
ですが、それは間違ってんじゃないの?
別にどれも本当の自分であって、演じているわけじゃない。
相手が違うと、自分の対応もビミョウに変わっていくということだ、と平野さんは考えたわけなのです。
つまり、母親と自分だけの関係性はベタっと甘えた関係。
でも先輩後輩になると頼もしい先輩になって後輩を導くって感じ。
相手と出会うシチュエーションによって、自分自身の醸し出す雰囲気やイロは変わっていく。
たとえばうちの息子はプラモデルやミリタリーには詳しいけど、わたくしはそれほど興味がない。
だから、息子はあえてそういう分野をわたくしに話そうとはしない。
でも、大学に入って、クラスにたまたま出会ったクラスメイトがミリオタだったりしたら、
それこそ意気投合しちゃって、深い人間関係が築けるかもしれない。
それって自然なことでしょう?
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ある人といれば、楽しいけれど、
逆にまた
たとえば、会社の上司とか先輩に異様にソリの合わない人がいるのは、
だれしも経験したことなんじゃないですか?
そんなとき、どうしてこうも、うまくいかないんだろう?って悩んだことはありません?
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平野さんはその英語の個人という意味、individual
のinをとって dividualism ディビデュアリズム つまり分人主義っていうのを
思いついたんだそうです。
人間、全人格をトータルで1とすると、付き合っている人ごとに分母の数がビミョウにかわっていく。
たとえば、カンタンにいっちゃうとある人がトータルで全世界で付き合っている人が10人いる。
10人いるわけだから10通りの付き合い方が存在するわけですね。
でも、だからといって、ひとりひとり、平等に
1/10という均等な濃さのお付き合いをしているわけじゃないのですよ。
例えば夢中になっている大好きな恋人がいたとして、逢えばあったで、その人といるのが楽しい、
離れていたらその人のことばっかりしか考えない、っていう状態だったら、分母は2ぐらい?
つまり二分の一になるわけです。
もしかしたら、あまりにお互いスキすぎて、自分とその人の境目さえわからない状態だったりしたら
分母は2から1の間の整数じゃおさまりきれないかもしれないですよね 汗
それはそれでスバラシイことでしょうけどね。
そうやって、自分が付き合っていて楽しい、充実している、前向きになれるっていう人との
関係の母数を高めていった方が、ラクですよ、ってことを平野さんは提唱しているのだと
わたくしは考えました。
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人間関係というのは、インタラクティブなもので、
お互いがピンポンをするように会話などを充実していかなければ
発展しないものです。
でも、中には「黙って俺のことを聞け!」っていう乱暴な人もいて
インタラクティブなカンケイには絶対になり得ない人もいるでしょう?
つまり、絶対に分かり合えない人もいるんです。
わたくしはそういう人間関係に悩んで疲れ果てていたことがあるんです。
その人といると、なんか自分が意地悪になって、イライラして、会話が続かない。
好意をもって接しようとしても、なぜか悪意にとられてしまう・・・。
「わたし、どっか人格的にヘンなのかな?」って負のスパイラルに陥ってしまう。
こういう関係を平野さんは、「人間関係とは半分は自分のせいでもあるけど、
あと半分は相手のせいでもある。自分だけしかいない人間関係などない」
とおっしゃって、そういうのは必要以上に自分を責めないことが必要だ、とされてます。
ですから、充実した人間関係であれば分母の数は少ないほどいいわけですが、
イヤでしょうがない人間関係はかぎりなく分母の数が多い方がいいんじゃないの?
みたいな考えですね。
1/100 とか 1/1000 とか。
極端なことをいうと、ビジネスライクの関係のおつきあいだったら、
そんなに自分の深い心のうちなんかを見せたりしないでしょ?
イヤな人とは深い関係を必要以上に築こうとしない。
もちろん、仕事仲間だったら、仕事に関する限り、細かい打ち合わせは大事でしょうが、
何もキライなのに会社帰りに一緒にごはんを食べたりすることない、ってことです。
(とはいっても、いろいろとしがらみが多いのが実情とは思いますが・・・・)
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ま、あといろいろと「じゃ、人間ひとりきりだと、人間関係というのはどうなるの?」みたいな
ツッコミもありますが、それにもじっくり考察されていますので、
興味のある人は読んでみてね。
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ひところ、「自分探しの旅」っていうのが流行って
「どこへ行かなくても、自分というのはここにいるだろ?」と冷やかされていましたが、
そうではなく、「自分探しの旅」というのは自分をよりよい人間関係へと導いてくれる人を
探す旅だ、なんて言われるとなるほどな、と深く納得したり。
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いろんな人と付き合っていると、
中にはすごく人格的にも尊敬できて、自分がいつもよりもすごく素直になって、
心が洗われたみたいに清々しい人に出会うことも、まれにあります。
これは自分の実感ですが、そういう人と付き合っていると、自分のポテンシャルな才能が
結構す~っと発揮されたりして、頭が妙にクリアになっていたりするんですよね。
反対に言えば、いかにイライラした気分が脳に悪いかってことですよ。
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生きている以上、イヤな人との出会いも必然で、続けなければならないことも多いですが、
こういう考え方をするとちょっと生きるのがラクなような気がします。
平野 啓一郎さんの作品は読んだことがありませんが、
かなり面白そうですね。
って、sadafusaさんも書かれている通り、読んでも共感も
感動もしない作品もありますけど...
以前、「手紙」という小説をギフトで頂きましたが、
内容は興味深いものの、作風というか文章になじめず、
個人的には”大した作品ではない”というランク付けでした。
(日本ではベストセラーとなった本だそうです)
Indivudualテーマのお話、たいへん興味深いです。
私は個人のミクロコスモスというものは、おっしゃっている通り、
千差万別であり、その人の周囲にいる(ある)人や物事に対する
接触の仕方、対応などもその人なりの”主観”に立った形で
行われる... と思っています。
分数の問題ではなく、そのままの姿&態度で外の世界(人)と
関係を織り成していくのが私たちの自然の姿と思っています。
by Loby (2012-10-10 21:14)
>Lobyさま
「手紙」はもしかして東野圭吾じゃないでしょうか?
わたくしも確か読みました。死刑囚の弟の話ですよね。
可哀想な話だけど、これが本当の実情かなァってちらっと
思ったりして。世間って厳しいですね。
本だけはホントウに個人差もあり、読むタイミングもあります。
日本は不景気で、人間関係が本当にギスギスしていると思います。
富裕層と貧困層がパキっと別れてきてますし。
ただでさえ、息苦しい世の中ですから、こんなふうな発想の転換を
図って、乗り越えていってほしいな、と思います。
特に若い人たちなどは。
by sadafusa (2012-10-10 22:46)