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Queen Maria Sophia of the Two Sicilies [ちょっとした考察]

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 ええい、ひかえおろう、皇妃エリザベートであるぞよ。

もはやわたくしごときが

こんなところであ~だ、こ~だといわなくても、

つとに「ハプスブルグの美神」として有名な

Kaizerin Elizabeth のことはみなさんご存知ですよね。

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ハンガリー王妃戴冠式のときの写真。衣装はフランスのウォルトで誂えた。

しかししかし、彼女には一般に知られていないクリソツの妹がいたんですよ。

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髪型までおねえさまといっしょにすることなかったんじゃないの?

その名もマリー・ソフィーというんです。(なんでフランス語表記なんですかね?)

当時は、実はエリザベートよりも美しいという評判でした。

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なんとな~く、ニュアンスがちがうかな~って気も。

エリザベートの実家もだいぶ風変りでしたけど、一応公爵家でしたし、

当時はブルー・ブラッドとして生まれたものは、やはりそれなりの格式の家でないと

ということで、多少気がおかしいといわれているのに両シチリア王国へ嫁いでいったんですね。

しかし、運の悪いことに、彼女はそうそうに王妃の座を追われることになる・・・・。

というか、廃位になっちゃんたんですね。

でも、まぁ、元王妃だったんだし、どこへいってもそれなりに尊敬されていたので

ハプスブルグ家のヨメとしてさんざんに苦しんでいるエリザベートよりは

マリー・ソフィーのほうがよほど気楽だったみたいです。

ひとときは、ふたりは相当仲がよくて、よくお揃いのドレスなどを

誂えていたそうです。そうすると、どっちがどっちかよくわからないほどよく似ていたそうです。

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ど~お?わたくしマリー・ソフィーよ。

写真みただけじゃほんとどっちがどっちだかわからないですねぇ。

写真を見た限りでも、本当によく似ている。

でも、結構この妹、悪いヤツでヨメとして苦しんでいるねーちゃんを見て、

こっそり楽しんでいたりもするんですよ。ヤなやつですね~。

というのは、やはり格式としてはヨーロッパ随一のハプスブルグ家の皇妃だったってことに

嫉妬していたし、姉の持つ財力にもあこがれていた、らしいです。

で、あるとき、乗馬に熱中して、イギリスにいったきりになっている母のことを

息子ルドルフにこういって中傷する。

「お母様はね、実はイギリス人の馬の調教師とデキているのよ」

ルドルフはそのとき19歳の多感な青年。

我慢できなくてすぐに母にそのことを問いただした。

調教師とは馬術を習っていただけにウマがあっていたエリザベートは

息子からそのことを聞かされてビックリ仰天。

その後、怒りのボルケーノが・・・・!

「な、なんですって。無礼にもほどがあるというものです!」

ということで、それまで少々妹に対しては寛容で、多少おひとよしすぎていたエリザベートは

ただちに縁を切っちゃったということです・・・・。

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うう~~ん、すごいなぁ。

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こっちのほうがホンモノだそうです。
オーストリア皇妃の服ってフランスの服に比べたら
確かに格式が高そうだけど、なんかダサイよね。
世の中、こんなキレイな人、めったにいないと思いがちだけど、かのエビちゃんも
双子でそっくりな妹さんがいたりして。
不思議なもんですね。

悪魔祓いとキリスト教 [ちょっとした考察]

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 ムリーリョの傑作 「無原罪の御宿り」

きわめてカトリック的な主題なので

プロテスタントの人々にはわかりにくいテーマだ。

子供のころ、テレビでお化けが映っている番組がありました。

たしかに、フィルムにはおぼろげながらすさまじい顔をした

悪鬼のような人物が映っていました。

ですが、怖い!と思った一方で、実は少し安心もしました。

なぜなら、少なくともお化けがいる、ということは

あの世がある、ということだ。

だから、人間は死んだら無になるわけじゃない。

当時のわたくしは全くのコドモだったんだけど、

自分という「意識」というか「自我」がなくなることが一番怖かったんだと思う。

閑話休題・・・・ 

先日、ちょっと気になっていた映画で

「エミリー・ローズ」というのを見ました。

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この話は、まぁカテゴライズするとすれば「ホラー」になるのかもしれませんが

ま、実際怖いですが、

要するに、「バタリアン」系の怖さとは違います。

話は、こうです。

ある辣腕女性弁護士に、カトリック教会から

ひとりの神父の弁護人になってほしい、との要請が。

その神父の罪状とは

「ある悪魔つきの少女に悪魔祓いをやっていたところ、誤って死亡させてしまった」

というもの。

女性弁護士は「ありゃ~、これはちょっと厄介だな~。なんと超常現象ですか・・・」

ときわめて冷静。彼女は無神論者だった。だから、神も悪魔も信じていない。

だんだんと女性弁護士もつぎつぎと自分の周りに恐ろしいことが起こり、

「神も悪魔もいないわよ~」と涼しい顔をしていられなくなる。

悪魔につかれた少女は、実は最期に手紙を残しており、

被告人の神父は「ぜひ、この手紙を衆人環視の場面で読まなくては・・・・」と

使命感に燃える。

そして、それはこういう手紙だった。

~私は朝、目が覚めると、苦しくなって何とか神様にすがろうと外へ出ました。

すると聖母さまがそばにたっておられ、わたしにこうおっしゃいました。

「あなたの苦しみは主がご存知でいらっしゃいます。しかし、あなたの運命は

すでに決まっており、これらの悪魔たち(全部で六人)はあなたの体から出られないのです。

なぜなら、この状態を世に知らしめることで、人々は世に霊的世界のあることを知るでしょうから。

でも、あなたが苦しくてたまらないのなら、ここで終わりにしてもいいのです。

あなたはわたしといっしょに天国へ来てもいいのです。

それとも、この苦しい運命を全うしますか?

選ぶのはあなたの自由ですよ」と。~

エミリーは苦しくても、自分の人生を生き切る決心をして

聖母に会って伝えられた事実を誰かに伝えなくては

と思い、その後手紙をしたためた後、悪魔に痛めつけられ、

結局すぐに、死んでしまった・・・・。

カトリック的に解釈するなら、エミリーは殉教者です。聖アントニウスと似たような立場でしょうか?

・・・・でも、日本人のわたくしには、こんなに酷いエミリーの人生って、人のしあわせってなんだろうなと考えてしまいます。

すとん、と腑に落ちないのですねぇ。

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マティアス・グルーネヴァルトの傑作。イーゼンハイムの祭壇画

アントニウスの火(麦角菌)に侵されたキリスト

イーゼンハイムは「聖アントニウスの火」に侵された人々にとっての

希望の地。ここで病は癒されると信じられた。

ずいぶん昔にヒットした「エクソシスト」もロードショー当時は

怖い怖い、と評判でしたので恐ろしくてとても見られず、

最近見たのですが、

やはり、カトリック側もこういった超常現象に直接介入することに

疑問視しているようで、なかなかカトリックの首脳部が少女に悪魔祓いの儀式を

決行させることに逡巡しているのですね。

なくなられたヨハネ・パウロ二世は神秘主義者で、自らも悪魔祓いをやられたこともあるそうです。

しかし、カトリックとて一枚岩ではなく、悪魔祓いどころか、悪魔の存在そのものを否定する神父もいます。

余談ですが、わたくしが敬愛しているカトリック作家の遠藤周作さんも、ご自身がフランスにいらしたときの経験を語っておられまして

「リヨンは昔から黒ミサをあげて涜神をしたところで有名なところだ。ここには、今でも悪魔の潜んでいる気配がする。そして実際、悪魔のいるところは臭い」

と何かのエッセイでお書きになっておられますね。

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エクソシストの中の神父が劇中にこういいます。

「悪魔の真に恐ろしいところは、真実の中に少しずつ嘘を入れて

人々を揺籃することだ」

なるほど、と思います。

本当の悪とは真っ黒じゃないです、かぎりなくグレーで、

はじめはほとんど白と変わらないほどのところから

少しずつ、黒味が強くなっていくのに、人は気が付かないところからはじまりますね。

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わたくしが尊敬している加藤周一さんのエッセイの中で

「世の中が悪く変わっていくときは、本当に気を付けなければならない。

あれだけ、のちの世で最悪の法と言われた「治安維持法」だって

制定されたときは、さほど恐ろしい法だなんてだれも思わなかった」といってます。

とにかく、「モノ」を判断するときは、人の話をうのみにするのではなく、

広く資料を読み、新聞も何誌も読み、ときには外国の情報も知って、

判断することだと。

悪魔は人間のスキや弱さを的確に突くのが巧みなのですね。

しかし、この世の中にはどんな光の中にも必ず闇は存在し、

闇ができるためには、光は必ずなければならない存在なのです。

きわめて、カトリック的にいえば、

「悪魔ですらも、神の栄光を顕すために必要な存在」なのでしょうか・・・・。


宝飾品の似合う人 [ちょっとした考察]

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この間、美容院へいってカットしてもらいながら、

たいてい美容院には常設してある●●画報などを読んでおりますと、

ホラ、よく老舗の女将さんとか、家元とか、そういうキラキラした方々の

ライフ・スタイル特集など紹介されているでしょ?

そういう方の和装の場合はたいていOKなのですが、

いかんせん、洋装の場合は「?」と思うこと多くありません?

とくにわたくしが「ああ、これは~」と思うのが

ユビワです。

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こんなシラウオのような指に、さりげなく

ユビワをしているととてもキレイ

日本人ってやっぱりアチラの方と比べれば骨格が小さいと思うの。

それなのに、でっかすぎるユビワとか、ネックレスとかヘンだなぁ~

と思うのです・・・。

昔だったら、キレイな石といえば宝石しかなかったから

それを王冠にはめ込んだっていうのはわかるのです。

だけど、現代は素材はいろいろありますね。

だから、石の大きさや透明度などで勝負するのではなく、

デザインですよね。

カルチェやショーメや、ティファニーのジュエリーがお高いのは

ひとえにデザイン力だと思います。

だから、はっきりいってしまえば、デザインがよけりゃ何も宝石じゃなくてもいいはずです。

オパール加工をしたフロストガラスで有名なラリックなども、もとは宝飾デザイナー。

けれど、宝石の輝きは彼にとってあまりにギラギラしすぎていた。

だから、ガラス作家に移行した、とこういうわけですネ。

で、なにがいいたいか、っていうと宝飾品といえば、女性のもの、ととかく思い勝ちですが

実は近代以前は、宝飾品は男性こそふさわしかったんじゃないかとも思ったりするんですよ。

まぁ、ケース・バイ・ケースでしょうけどね。

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だって、長身で体の幅があって厚みのある人のほうが大きい宝石が映えます。

この間、テレビドラマの「チューダーズ」を見ていて思いました。

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右側の女性は親指以外全部ユビワしてるよね。

王様もこれだけガタイがよいとこんなに大きなユビワをしていてもうるさく感じません。

ドラマの中で、王様が御幸するとき、イギリスの下々の人々は

日本と違って土下座なんてしないで、

たちながら王様のやってくるのを待っている。ウキウキ、ワクワクしながら・・・・。

王様もここぞ、とばかりに普段よりもさらに念入りにキンキラキンに着飾って

みなの前にお出ましです。

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 若いころのヘンリー8世は
長身痩躯金髪碧眼で文句なしのイケメンだったそうです。
加えてまれに見る秀才だったとか・・・。
ホルバインのあの絵ってすごくインパクトありますからねぇ。
・・・まるでディズニーのパレードのプリンス・プリンセスあたりとまったく変わりません。

下々には王様の姿を拝見するのが、楽しみだったんでしょうね。

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色が地味っていうのもあるかもしれないですけど

こういう服ってカタハバがあって首が長くないと似合わなさそう・・。

胸に下げてるペンダントもすごいですね。

あと、もっとにあっているのが、トルコの王様のターバンとかインドのマハラジャの

宝飾とか・・・・。

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誰にも異議を挟むことなどゆるされないこのイデタチ

デカイ宝石に負けない気迫が、つける人に求められているような気がするんですよね~

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これはトプカプ宮殿イチの財宝。

ターバン飾りです。

さぞやスルタンのご威光が眩しかったことでございましょう・・・・。


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