たまにはシブく古楽など・・・ [芸術]
今日はすんごく久しぶりに京都コンサートホールへ行ってまいりましたのことよ。
京都コンサートホールは今からおよそ20年ほど前に
京都の北山に建てられた、クラシック音楽専用のコンサートホールです。
まだ、バブルの恩恵に浴していた頃に建てられていますので、
ゴージャスです。大理石ふんだんに使われています。
建てられた当時は、そのあまりにモダンな雰囲気が冷たい感じがして
そんなにイイとは思わなかったんですが、
トシとってくるとようやくこういうモダンな建築物の良さみたいなのが
分かってくるようになったみたいです。
ハコそのものはいいんですが、最近は京都市の予算があんまりないらしくて
いい演目が来ないんですよぉ~。
以前はキーシンとかアルゲリッチとかフランスのフィルハーモニーとかばんばん来てたのにな。
ちょっとさびしい・・・・。
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とはいえ、そんなに知名度が高くなくても、いい音楽っていうのはあんがいひっそりと行われ、
案外根強いファンっていうものがいるもんなんですよね。
今日はその一端ですね。
題しまして「バロック宮廷の華/ダンスと音楽の饗宴」っていうのを見に行ったっていうか
聴きに行ったっていうか。
というのは、音楽もあったけど、+バロック・ダンスっていうのも、やっていたのです。
今はそんなに古楽って流行っていないのかもしれないですけど、
一時期、今から20年ほどまえか・・・古楽が流行っていたときがあるんです。
で、そのときに結構そういうバロックがらみの音楽やら映画やら、よく作られていまして
思い出すだけでもちらほらと。
まず、「めぐり逢う朝」
「王は踊る」
- アーティスト: フロリアン・ハイリク,ラインハルト・ゲーベル,ムジカ・アンティクワ・ケルン,フロリアン・ドイター
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2001/06/21
- メディア: CD
「宮廷料理人ヴァテール」などなど。
まだまだあったような気がするけど、ま、それはおいといて。
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まずですね、バロック・ダンスっていうのは、まぁ、ルイ14世の頃に確立しまして
今のバレエのもとですね。
まぁ、バレエほど激しいアクロバティックな動きはないのです。
踊っているのはあくまでも宮廷人であって、プロのダンサーではないのですから。
といっても、かなり難しく、踊るにはかなりの訓練が必要だったでしょう。
そういえば、「チューダーズ」のドラマの中では、
タムジン・マーチャント扮するキャサリン・ハワードが侍女を従えて
ダンスの練習をしまくるシーンがありましたが、あれこそまさにバロックダンス。
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音楽のほうは、先ほどいいました「めぐりあう朝」の中に使われていた
マラン・マレの「スペインのフォリア」が美しかったです。
ヴィオラ・デ・ガンバは今のチェロよりかなり小型のもしかしたら、
今のヴィオラのほうが近いのかもしれませんが
実に深くて格調のある低音がでる楽器なのですね。
いままで、さんざCDとか映画とかのメディアでは聞いたことがありましたが、
生のヴィオラ・デ・ガンバの演奏は初めて。すごく美しくて感動しました。
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あと、青柳いづみこさんのピアノで知っていた、
ジャン・フィリップ・ラモーの作品。
「ロンドによるミュゼット、タンブーラン」
青柳さんはピアニストなので、この曲をピアノで演奏していましたが、
今回はクラブサン(ハープシコード)でしたので、おんなじ曲を演奏していたとしても
それはそれでまたかなり違った印象でした。
クラブサンの音色ってどことなく、緻密に編まれたレースのような感触があります。
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ダンサーはバロックダンスの研究家でまたダンサーでもある方が踊っておられました。
よく当時のスタイルを研究して復元してあると思いますが、
いかんせん、そうとうお年だったような気が・・・。
自ら踊りたい!という気持ちわかりますが、
最近は八頭身のダンサーはいくらでもいますので、
クラシック・バレエをやっている子だったら、踊れると思います。
んんん~、こういうとまた毒舌になっちゃうんだけど、
こういう世界はまた独特の、いってみればオタクの香りがするんですよ。
ともすると、偏った方向へ行きがちです。
「わかる人だけにわかってもらえばいい」
というまさしく独立不羈の精神があるんでしょうけど、
そうやっていると、ますます一般ピープルの目から離れて、触れることはなく、
大勢の目にさらされることによって、芸そのものが磨かれる機会が減るわけです。
ちょっとそこが残念だったかな~f(^^;
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途中で古楽奏者の方のお話もあり、
ヴァイオリンというのは16世紀ぐらいに入って
やっと正式な楽器だと宮廷から認められたのだそうです。
というのは、演奏するとき、楽器をアゴに挟む恰好が「屈辱的」であり
かつ、演奏するスタイルがアシメトリーであって、シンメトリーではなく
この時代、「秩序」とか「調和」を重んじていたので、そういった不安定な演奏スタイルは
好まれなかったそうです。
おっしゃるところによると、正式にヴァイオリンが認められるまでは
異教の「ユダヤ人の楽器」だとして、辻でヴァイオリンなどを弾いていたりすると
刺殺されても文句いえなかったそうです・・・。
へぇ~。西洋音楽っていったら、まずヴァイオリン
と今日の我々は思いがちですが
意外とそういう秘められた歴史があるんですね。
とても勉強になりましたワ。
ケガの巧妙 [ワタシのキモチ]
わたくしの夫サマは記念日を大切にする人です。
わたくしがとってもボケで忘れ去っていても「アシタは〇〇の日だよ」
とキチンと覚えています。
わたくし、さる24日が自分がケッコンした日だということを
すっかり忘れ去っておりました。
どうも、何かの拍子に自分が注目されるエポックメーキングなことがあると、
突然、いうべきセリフも覚えていない役者がスポットライトの当たった表舞台に立たされたみたいで
あまりに居心地が悪くて、無理しても忘れようとしているクセがあるのね。
で、忘れていたんだけど、
たまたまその日が記念日にピッタリな花だったわ、
ってことで少し得した気分に。
最近はたいてい二人で夜ご飯を食べることが多いんだけど、
この日もそうでした。
で、「そうだ!こういう日こそ!!」と、100グラム1500円の和牛のフィレのステーキを食べよう!
と思い立ちまして・・・。
材料がちょっとばかり高くても、家で作って食べればどこかへ行って食べるより安いに決まってるし!
だいたいステーキなんて、焼くだけだし、楽です。
とはいえ、いつもステーキはワンパターンになりがちなので
ちょっと頭使って、バルサミコソースにしましたん~。
お肉やわらかくておいし~。
ミディアム・レアにしました~。
雑な付け合せは笑ってください、性格です。
こういう場合、炭水化物をとらないでおくと、
お肉を消化するのに、摂取したカロリーの3分の2ぐらいは消費されるということなので、
たいてい翌日は体重減っているのですね!知ってた?
でも、一緒にパンとか食べたり、そのあとケーキ食べたら、絶対太るけど・・・。
ローソクつけたらどうなるか?というご質問があったので、写真をUPしてみます。
自分の写真も撮ってみたけど、めっちゃ写真って残酷ですね・・・。
自分が普段見ている鏡の中の自分ってなんなんでしょうとかってマジ思います。
客観的にみて、ヤキの入った根性悪そうなオバハン意外のなにものでもありません。orz!
・・・・やぁねぇ。
crazy horse paris [読書&映画]
見に行ってまいりました。「クレイジー・ホース」
イヤ、感動しました。女性の裸体ってこんなにキレイなものだったんですねっ!
って世の中には「絵のように美しい」っていう表現がありますが、
これを見て、絵画は本物の美しい裸体を上回ることができないかもしれない・・・とマジ思いましたね。
それほどまでに、自然の造形物は美しいんです。
すべて、とはいいませんが。
クレイジー・ホース・パリはパリはモンマルトルにある今でもバリバリ現役のキャバレーです。
ここはヌード・ショーで超有名なのですが・・・
あの、ベガスのとは一味違いますね。
日本のストリップ小屋なんかとは全然レヴェルとか次元も違います。
ここで行われるショーは、もちろん女性の裸体がメインなのですが、
それはエンターテェインメントという部分ももちろんありますが、
やっぱり「芸術」といっていいでしょうね。
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同じショーでもベガスのヌード・ショーも有名みたいです。
が、以前「ショーガール」っていうのを見たんですが、
その映画は実に下品でした。ショービジネスはいかに厳しいかっていうのは解ったけど。
本当のベガスのショーはどんなものかはわからないけど、
なんか扇情的なショーだったです。
女性はこういうショーは見に行けないかも・・・・と思いました。
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キャバレー・クレイジー・ホースの特徴とは!
まずね、ダンサーの質の高さです。
ギリシャの神サマはなぜ裸かというと
その裸体が完全無欠で隠すことがないからなのだそうです。
そういう意味でここで踊っているダンサーの肢体は本当に輝くばかりに美しい。
こんなのみちゃうと、今はやりの巨乳とか、な~んて下品!って思いますよ。
み~んなすらりと長身、細身で、しかも足は長く、手も長く、首もほっそりと長い。
そして、腰はきゅっとくびれて、おなかなんてま~ったく贅肉なんてついていません。
かといって、ギスギスじゃない。本当に完璧。
美しい胸というのは、こういうのことをいうのね、って女ながらに感動して見ていました。
オーディションのシーンもありまして、それが結構面白かった。
ここの劇場のダンサーは16人ということです。
わたくしが思うに、ここで踊れるのは25ぐらいまでなんじゃないかなぁ。
それ以降はちょっとキビシイかも・・・。
意外とロシア人が多いのだそうです。
たぶん、ボリショイのバレエ学校を出てきた子たちなんじゃないかと思うんですよね。
めちゃくちゃ踊りが上手かった。
最後、シルクドソレイユそっくりなパフォーマンスしている人もいたし、
超高度な演技だと思います。
わたくし、最近思うに、身体能力の高い人じゃないと、まず完璧なプロポーションになりえないんじゃないか
って思うんですよ。だいたい、あのヒール。歩くだけでも大変です。
美しい身のこなしは、絶対に運動神経が必要だと思います。
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オーディションの途中緊張して失神して救急車で病院へ運ばれた女の子や
ニューハーフの方もいました。
でも、通らない。難関なんですね。
男性のスタッフが支配人に
「あの子は?いい線言っていると思うよ。イタリアからここに入りたくてチャレンジしたんだ」
「いやよ、ああいうスタイルの子はここの好みじゃないの」
む~~ん、キビシイ。
上品な肢体が好まれるようです。そこらへんのボディラインのチェックはすごかったです。
ですから、ここのダンサーがどんな大胆なポーズで踊っていたとしても、
そこには淫らなエロティシズムっていうのはみじんも感じさせないです。
もっとも「官能美」はありますよ。だけど、それはなんというかまるで夢のように美しい。
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で、な~んとなくフワ~とした雰囲気でシャンパンを飲みながら夢のような舞台を
愉しむことになるのですが、
その裏側というのが、またスゴイ。
こういったひとつのショーが一つ成り立つためにはこんなにも
裏方さんの努力があるのだなぁと感心しました。
演出を手掛けるフリップ・ドゥクレ。
この人すごいですね。自身がダンサーであり、振付家であって、
実際この人が踊っているシーンも収録されていますが、
男なのに、女らしい。やっぱり振付ひとつで感情表現ができるもんなんだぁ~って
改めて感じました。
芸術監督のアリ・マフダビ。
ショーの芸術監督ですね。ここのショーのライトの当て方ひとつにしても
考えて考えて考え抜いた結果なのです。本当に美しい、そして芸術的。
ダンサーたちの衣装を手掛けるフィフィ・シャシュニル。
この方は女性なのですが、いかにもパリジェンヌらしいサバサバしたきっぷのいいしゃべり方をされます。
でも、言い方によればともすると傲岸不遜に聞こえる彼女のコトバも、なぜか
愛らしく、心に届きます。
「このショーで踊るコたちは男性のお客さんの前で、大開脚するのよ。
そんなコたちに、こんな粗末な衣装なんてかわいそうすぎるわ。
わたしは誇りをもって、これが私のした仕事よ、っていえる仕事がしたいの。
やっつけ仕事なんてゴメンだわ。わたしの言い分がとおらないのなら下ろさせてもらうわ」
とかいいつつ、衣装変更があって戸惑っているダンサーに実に熱心に
なぜ変更があったかを心を込めて説得している姿には感動しました。
そして、実質的な劇場の管理者である総支配人、アンドレ・ダイセンバーグ。
そして音楽を手掛けるフレッド・パレム。
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わたくし、身体芸術が大好きなんですよね。
パリに行ったら、ナイトライフはオペラ座に行って「バヤデール」とか「海賊」みたいなと
思っていましたが、こっちへいくのも面白そう!
なお、おひとり様、85ユーロで楽しめるそうですよ。・・・行ってみたいな。
天地明察 [読書&映画]
確かに子供の頃は「ご明察!」ってことばは使われていたように思う。
今は使わないよね・・・。
本当は「るろうに剣心」が見に行きたかったんですが
ま、こっちはこっちで面白かったのでマル。
いや、期待した以上に面白かったです。
どんな話かっていうと、江戸時代の理系男子の話ですワ。
主人公の安井算哲は、会津藩お抱えの碁打ち。
上様が御展覧になる碁を打つ身分。
しかし、ライヴァルの本因坊とは本当に真剣勝負をしたことがなく、
上様の前では、すでに考案されて勝負のついたものをただ打ってみせるだけ。
それじゃ、ツマラナイ。
で、ある日、掟をやぶって本因坊とひそかにたくらんで上様の前で
真剣勝負を挑むのです。
それがために、算哲は北極出地、つまり北極を基にした、土地測量の旅に行かされちゃうのですね。
もともと、算哲は数学の幾何の問題を解くのが大好きな
理系男子、だんだんと星を見ることにハマっていくのです。
そこで、いっしょに仕事をすることになった北極出地の同僚が
「今の暦は狂っている。冬至や夏至に至っては1日・2日の差がある」
ということを聞かされます。
「正しい暦を作ってみたい」という大きな欲望にとらわれる算哲。
さぁ、どうなる?
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やっぱり世の中、昔から理系、文系、体育会系とわかれているモンなんですね。
星辰へのあくなき追求っていうか・・・。
岡田クンがさわやか理系男子を演じていてよかったです。
宮崎あおいも大河で鍛えられたのか、立ち姿がとても美しかった。
艱難辛苦の末、結ばれたおえんと算哲。
ふたりは生涯夫唱婦随を貫き、そして生涯の夢であった偕老同穴を果たす。
話が単純ではなく、結構ハラハラとする展開なのです。
江戸時代に使っていた暦は800年も昔の中国伝来のもの。
そこで、元の時代の「時授暦」のほうが正確なので、こっちを採用しようとするのですが、
しかし、しかし・・・ナノデス。
なかなかに江戸時代のように物事の秩序が固まってしまった時代に
新しいものを取り入れるのは難しかったようです。
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最後、自分の命を賭して、「大和暦」の証明を京都の梅小路で証明しようとする
算哲です。
こっそり後をつけてきて、見事算哲の
「天地明察」が果たせたとき、
「旦那様、旦那様」とまろびつつ、駆け寄るおえんの姿の美しさ。
ま、本当は男女同権ですけど、そうは思いつつ、夫を立てるほうが
周りものには「見よい」ですよね。
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この「大和暦」はのちに「貞享暦」となり、
安井算哲は名を改め渋川春海と名乗るようになったのデシタ。
こだわり人物伝 ~バーンスタイン by 佐渡裕 ショパン by 平野啓一郎~ [読書&映画]
最近、文豪の本ばかり読んでいたら、なんだか疲れてきちゃって、
さらりと読むモノがほしくなりました。
そんなとき、この本を発見。
こだわり人物伝 2010年10・11月 バーンスタイン~愛弟子が語る/ショパン~魂の旋律 (知楽遊学シリーズ)
- 作者: 佐渡 裕
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2010/09/25
- メディア: ムック
NHKってこの手のムック本が好きね~
まぁ、少しはお利口になったかな、って気はするけど、
あくまでも、それは、きちんとした内容の側面なのであって、中身じゃないから。
ま、それでも、ちょっとしたこぼれ話みたいで面白いのは、面白いんだけど。
お目当てはバーン・スタインじゃなくて、ショパン・平野啓一郎だったんですけどね。
で、よんでいるうちに、わたくしって、いつも聞いている音楽って
実はある時代、ある楽器のみに限られているんだなぁって。
19世紀以降のピアノ曲しか、好きじゃないみたい。
しかも、フランスっぽい方面。
ドイツっていうのは、本当に好きじゃないです。
といって、ベルリオーズなんかもピンとこないから
持ってるけど、やっぱりめったに聞かないですね。
マーラーも、たまに聞けばいいかな?とは思うけど
やっぱりきかないわね。
といって、じゃショパンでもあまねく聞いているのかっていったら
全然そんなことなくて、有名な曲ばかりしか聴かない。
この際、ポロネーズとかマズルカとか、ピアノ・ソナタの全部を網羅しているCDを買おうかな~
なんて思うけど、あんまりプレイヤーが好きじゃなかったら買う気しないし。
でも、こういうのはどうかな?
- アーティスト: Fryderyk Franciszek Chopin,Maurizio Pollini
- 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
- 発売日: 1987/07/07
- メディア: CD
マウリツィオ・ポリーニ。
全然聞いたことないけど、
なんかのコンクールでアルゲリッチ1位、ポリーニ、2位だったんだって。
わたくし、好きなスタイルと好きじゃないスタイルって好みはっきりとわかれるからなぁ。
あんまり超絶技巧に走りすぎているのはキライなんだよね。
ちょっと、しっとりしたオールド・スタイルのがいいな。
とか言って、良けりゃ何でもいいんだけど・・・・。
ガセネッタ&シモネッタ by 米原万里 [読書&映画]
わたくし、だいたい3か月ごとにテーマを決めて集中的に本を読んでいるんです。
今はロシアもの、なんです。
ですがネ、ロシアものってなんとなくテーマ重たそう~、長そう~
って感じするじゃないですか・・・・・?
高校生のとき、わけもわからず「カラマーゾフの兄弟」読みましたっけ・・・。
ドミートリィ、イワン、アレクセイ。そして、スメルジャコフ。
舌を噛みそうな長ったらしい名前、今でも空でいえます。
恐るべし!高校生の記憶力。だけど、はっきり言って内容は全然わからないんだよねぇ~。
天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざにはときがある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり。
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり。
…
泣くに時があり、笑うに時があり。
悲しむに時があり、踊るに時があり。
(伝道の書)
本を読むときにも、その人の精神的な成熟度によって
「読み時」というものがありますね。
よわい、五十にして、しみじみ名作の良さがわかったりするもんなんですよ。
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すぁて、ロシアものを読むにあたって、イキナリはちょっと怖かったので、
米原万里さんの「ガセネッタ&シモネッタ」っていうのを読んでみたんですヨ。
米原さんは、ロシア語の同時通訳で超有名な方。
そして、同時に作家・エッセイストでもあられた方です。
米原さんは「オリガ・モリソヴナの反語法」という小説を書いておられまして、
「ドゥマゴ賞」を受賞しておられるのですが
それがなんとも日本人離れしたスケールの大きな物語でものすごく感動したものです。
ただ、2006年に56歳で他界しておられまして、先々が楽しみな作家さんだったのに
その早すぎる死が惜しまれるのです・・・・。
米原さんは、少女期に共産党員(!)だった父君に伴ってプラハに5年間暮らされるのですが
あんまり、日本人にとってなじみのないチェコ語を習得するよりは、
帰国後にもなにかと有利になるであろうと思われるロシア語を、というご両親の考えもあって
プラハにある、ロシアから駐在している人々の子弟のために作られた
ロシア語学校に通われるのです。
ただ、やはりプラハに駐在していた外国人たちは米原さんのご両親と同じ考え方の人が多かったらしく
通ってらしたロシア語学校は、その当時一種のインターナショナルといった体をなしていたそうです。
米原さんはその中でいろんな、そして複雑な事情を抱えたルーツを持つ学友たちを、
子供の感性で観察しているサマには心うたれるものがあります。
世の中、帰国子女はあまたいますが、共産圏というのはちょっと珍しいと思いますね。
米原さんは、そういった環境で育たれて、もちろん共産主義の恐ろしさというものも
身を持って感じられた一方、人類の理想である、共産主義の「どんな人にも平等」という高邁な
精神にも触れて、その素晴らしさっていうのも感じているんですね。
資本主義は「お金にならない」ことはしないものですが、共産主義はそういったことを度外視して
教育などに当たっていたんですねぇ~。
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アメリカなどは、どこの国へいっても全部「英語」で無理やり押し通そうとしますが、
ロシアはまるきり反対の立場をとっておられまして
まず、その国を理解するにはその国のコトバを習得するというのが基本だったそうです。
ロシアはどんな小国にでも、ロシア人を送り込んで、その言葉を習得させ
ロシア語に翻訳しているんだそうです。
日本に例をとってみると古いところでは「源氏物語」。
ですが、「大宝律令」まで訳しているとあっては、あっけにとられてしまいます。
だれがそんなもの、読むんだ~?
・・・その飽くなき探求心。スゴイです。
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あと、少々話は尾籠になって申し訳ないんですが、
ロシア語で翻訳されたものは、たとえば文学作品の場合、
たとえば当時でも十分過激な箇所であっても
一切ノーカットだったんだそうです。
米原さんたちの学年は、小学校4年生ぐらいからデュマの「三銃士」などを
バリバリ読破していたそうなんです。
親は単純に喜んでいたそうなんですが、
実は濡れ場がバリバリにすさまじいから、だったんだそうですネ。
わたくし、最近「三銃士」のシリーズ11巻、読破した!と喜んでいたんです。
鈴木力衛さんの訳も40年前でありながら、というか40年前だからこそというべきか
本当に流麗ですばらしかったんです。
やっぱり、艶ごとのシーンはさらっと描かれているばかりで
「やっぱり、昔はこういうのご法度だったんだな」と思ったんですが
それは実はカットされていたんですね!
確かに~。「ブラジュロンヌ子爵」って美しいんだけど、
こうなんていうか気の抜けた炭酸みたいに
ダラダラと続くんですよ。
恋愛ばっかりでタルい~とか思って。
でも、あそこに強烈な濡れ場シーンがあったとしたら
それはたぶん別の印象でしょうね。
しかしながら、日本には「チャタレイ夫人の恋人」裁判というのもありますし、
全訳をした伊藤整さんは窮地に追い込まれたという経過もあります。
今、全訳を読んでみると非常に芸術的で、わいせつなものと完全に一線を画したものであるのに、
残念だなぁ~と思わないではいられないのです。
作家は必要と感じてその場所を描いているのですから。
なんというか、昔の教育ママみたいに「なんざます~!いやらしい!」
でカットしちゃうほうがよっぽど、偽善者でイヤらしいと思うのですけど。
物事は大局的にみたいものですね。
クロイツェル・ソナタ [芸術]
じっとしていると、なおさら手首がジンジンしてくるような気がしてくるTT
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今日、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」と「悪魔」を読了した。
ま、話の内容はほか機会にゆずるが、
この曲のプレストの「官能性」が、不倫の男女の仲に拍車をかけるというくだりがある。
へぇ~、と思いつつ、このCDを取り出してきた。
前橋汀子とクリストフ・エッシェンバッハのデュオです。
アマゾンではもう取り扱っていませんでした・・・(TT)
わたくし、曲名と名前がいっつも混同して、メロディは知っていても、タイトルは知らない、
タイトルは知っていても、曲名と結びつかないことばっかりなんですよ↓
読書中も、「ああ、あの曲だな」と思っていたのが実はクロイツェルではなく、
スプリングのほうだった!
夫の忠告で正気にもどったかに見えた妻は
クロイツェル・ソナタの官能の魔術にかかって、一緒にデュオを奏でたヴァイオリン弾きと
越えてはいけない男女の一線を、その晩超えてしまった・・・・。
うう~ん、そう思ってきけば、そんな気もするけど・・・。
わたくし、ベートーベンに官能を感じたことはなかった・・・。
だけど、タイトルを「クロイツェル・ソナタ」と名付けたトルストイのセンスってすごいわ。
全く、芸術家の創造力ってものは、われわれの思念の範疇を超えているデス。